2016/12/18

Nozomi

Nozomiさんは2016年にSAIS修士課程(MA)を終えました。JICAで農業開発プロジェクトの形成、実施に携わった後、SAISへ留学しました。
「貿易理論」コースのクラスメイトと(前列中央がNozomi)

簡単に経歴を教えてください。

元々自然が好きで、大学では農学部に進学しました。農学部で選択した基礎講座で、世界の飢餓と貧困について聞き、貧困とは何かを確かめに夏休みにガーナの最北端に行きました。その地域は、その後渡航禁止になってしまいましたが(苦笑)。それ以来、サブサハラアフリカの食料安全保障に関心を持っています。大学卒業後はJICAに就職し、西アフリカとベトナムの農業開発などに従事しました。

留学のきっかけは?

JICAに就職して担当したプロジェクトの多くは、対象地域の食料増産、住民の生計向上を目指したものでした。サブサハラアフリカという土地柄、貴重な水資源を有効活用するような農業技術の普及やマイクロファイナンスや村落開発など住民参加を支援しました。しかし、プロジェクトが終わると成果が雲散霧消してしまうケースを見聞きすることがあまりに多く、もっと抜本的な仕組みが必要と感じました。

そこで、ODAが発展に貢献したと言われるアジアの経験を学ぶため、ベトナムに赴任しました。ベトナムでは、政府やドナー以上に、外国企業や多国籍企業が食料市場に密接に関わっている状況を目の当たりにしました。ベトナムはその資本、技術力を活かして、豊かな自然条件や過去の公共投資を基に農業大国になったのも事実ですが、その半面、グローバルバリューチェーンに垂直統合され、穀物の商品化を一因として食料価格の急変動に左右されるようになりました。このシステムからは他にも、食料分布の不均衡による飢餓問題の背景を垣間見た気がしました。

話を戻すと、サブサハラアフリカの食料安全保障を改善するには、この国際メカニズムのボトルネックを特定し、アグリビジネスとも国際的に協力していかなくてはならないと考えるに至りました。そのため、食料貿易のルール作りや農業政策議論について大学院で学ぼうと思いました。

SAISに留学してみて印象は?

学びたいことが決まっていたので、シラバスや所属教授の研究内容について調べ、農業分野と政策議論の両方が学べるアメリカの大学院にSAISを含め数校出願しました。出願校に事前に訪問し、研究を指導してもらえそうか教授に相談にのってもらいました。こういう経緯の人はSAISの中では珍しかったと思いますが、私一人ではありませんでした。

ですので、SAISでのアカデミックライフはある程度想定したものでした。ただ、シラバスを読んだだけでは講義の焦点が理解しきれないこともあるので、あとはセメスターが始まってから色々なクラスに出てみて、直接教授の話を聞いて、人柄を見て、最終的に国際森林管理、国際水資源政策、野生生物保全、気候変動と経済発展、比較農業政策、環境・資源経済といった講義を選択しました。

もちろん、SAISは特定の分野に特化した研究大学院ではありません。ワシントンDCという地の利もあり、学問・研究成果を政策立案の実践に活かすことを目指していて、私も農業政策の他にも国際関係論や開発戦略といった学際的アプローチも学びました。特定の研究分野に関心を持ってSAISに来ると、選択したい授業がない、もしくは目当ての講義が開講されないリスクもあると思います。
 

専攻(Energy, Resources and Environment Concentration: ERE)について教えて下さい。

EREでは多岐に亘るトピックを扱い一学年で100名以上が所属する大きな専攻のため、その下にSequenceと呼ばれる分野を十程度設けて、専門性を高める工夫がされています。Agriculture SequenceはEREでも注目されてきている分野ではありますが、それでも私が選択した講義の大半ではクラスメイトは10名以下でした。エネルギーや気候変動分野に関心のある学生が多いようで、気候変動と経済発展の講義ではクラスメイトが30名近くいました。EREのように大きな専攻だと講義が大人数になる傾向はあると思いますが、支援体制が整っていたり、卒業生を多く輩出しているのでネットワーキングにも役立つと思います。

先ほど学際という話をしましたが、EREの教授は技術畑出身でも政策を分析していたり、政府やNGO等からゲストスピーカーを呼ぶことが普通であったり、学生側も色々な経験・関心を持っているので、EREでも必然的に学際的視点を学ぶことになると思います。例えば、国際水資源政策の講義ではグループワークでインダス川を扱ったのですが、私は水文や治水、農業利用といった観点から水資源の管理体制を検討した一方、別のクラスメイトはチベットやカシミールといった地政学的観点からインダス川協定を分析しました。多くの人が影響を受ける政策の立案には、多様な視点、分析が必要と実感しました。
  

Nozomiさんはジャパンクラブの代表を務められたんですよね?

代表は成り行きで決まったのですが(笑)、クラブ活動は良い経験になりました。生徒会が仕切るインターナショナルディナーやハッピーアワーに出店した以外に、新歓交流会、日本語を学ぶ学生の練習のための日本語会話ランチ、映画鑑賞会など要望に合わせて他のクラブメンバーと企画しました。

コアメンバーには、日本人留学生に加えて、ジャパンスタディ(日本専攻)の学生がいました。彼らは過去に日本について学んでいたり、学部で日本に留学していたり、日本のことをよく知っていましたが、大学院で更に日本と自国との政治・経済関係について専門性を深めていました。彼らからは、アメリカに滞在しただけでは自分では気づかなかった日本との違いを教えてもらい、異文化コミュニケーションを明示的に理解することができました。
 

今後のキャリアはどんな風に考えていますか?

大学院で食料問題への処方箋を得るつもりが、食料安全保障にさらに危機感を覚えるようになりました(苦笑)。今後予測される世界的な人口増加や経済成長、農村部の変化の中で、水、土地等の限られた自然資源を持続的に利用していくためには、国益、企業益を超え一丸となって臨んでいくことが不可欠です。食料生産・流通・貿易活動の大半を占める民間セクターが協力し合えれば、インパクトも持続性も高まると思います。

来年からは国連FAOでまさにアフリカのvalue chain developmentを進める予定ですが、現場でのプロジェクトマネジメントの経験を思い出して、良い取り組みを実現、波及させていくための国際ルール、環境作りのために、SAISで学んだ政策議論を発展させていきたいと考えています。修士論文で協力した国際NGOでも、SAIS卒業後に初めて勤務した別の国際機関でも、異なる関心、価値観の混在する国際社会では論理的な土台を基に事業を展開しており、SAISで身につけたアプローチは活かせると感じました。
 

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

キャリアチェンジもいいですし、そうでなくてもSAISで学べることがあるようであれば、留学をお勧めします。社会人になると目の前の仕事に追われてしまい、一つのことを追求するのも難しいと思います。コースワークで研究トピックを絞っていき、修士論文のテーマに行きついたことは、過去の経験や自分の関心の棚卸になりました。

また、もし国際機関での勤務を志望される場合は、T字型の専門性を身につける必要があり、大学院の修了証はその保証書でもあります。私も、食料・農業という括りではSAISは大学学部や実務の延長でしたが、SAISで初めて気候変動について本格的に学び、卒業後は天候インデックス農業保険のリサーチに従事しました。

話は変わりますが、SAISにはボローニャキャンパスがあることもありヨーロッパからの留学生も多く、ヨーロッパで就職することも身近に感じられました。私は卒業後はローマに赴任しましたが、そこでもSAISの先輩方に親切にしてもらいました。SAISのネットワークも貴重な財産になります。ぜひ留学に挑戦してください!
ジャパンクラブのメンバー(中央左がNozomi)

2015/12/12

Yuko

Yukoさんは世界銀行グループ内部監査局における戦略業務部長を務めています。ナバーラ大学(スペイン)でMBA、SAISでMIPPを修了しました。今回はシニアの視点からのキャリアなどについて語って頂きました。
世銀にて同僚と内部監査協会の幹部と。

簡単に経歴を教えて下さい。

大学では社会学を学んでいました。これには高校で学んだ政治経済の先生の影響が強かったと思います。日本は高度経済成長の真っ只中にあり、様々な社会問題に直面していた頃です。水俣病など公害もまだ過去のものではありませんでした。社会がどう動いて、どう進化してゆくのかに興味があり、ジャーナリスト志望の学生でした。

その後、就職した先は証券会社でした。男女雇用機会均等法が成立したちょうどその頃で、総合職として働き始めました。広報の仕事をした後、手を挙げてナバーラ大学でMBAを取りました。多くの人は米国の大学院に行ったのですが、私は違ったことをして、ヨーロッパに行ってみたいと。帰ってから、中南米の政府などの債券発行に関わる仕事を始めました。それまでの暗黒の時代が終わり、民主化なども進んで来たところでしたね。そこでまた、こうした債券で調達された資金はどのように使われているんだろう、どのようにそれらの国の経済発展に寄与しているのだろう、と気になり始めました。出張の帰りにワシントンに寄って、調べ物をしたり、人と会ったりしているうちに、きっかけがあり、アジアの金融セクターについてわかる人を探していたIFCに移ることになりました。

SAISで学んだのはそのときです。IFCでTransactionを回している中で、もっとそのコンテクストを理解したいという欲求が湧いてきました。なぜ、自分たちの業務が必要とされているのだろう、という根本的な質問に対する答えを求めていたんです。SAISでは夜間学生としてMIPPを取りました。その後、米州開発銀行のIICへ移りました。これは子供が出来たこともあって、距離的に近い中南米の担当をした方が負担が少ないという考えもありました。そこでも投資案件をこなしていたのですが、そうしたTransactionを毎回経験する中で、その中のどの部分に最も関心があるか、ということを考えるようになりました。私の場合は企業統治や内部統制といったところでした。企業や組織がどのように意思決定をしてどのような仕組みで動いているかということを考えることは投資案件を検討する中でしていましたが、そういう点をもっと深く調べられる仕事がないかなと機会を探すようになりました。

IICに移って4年ほど経った頃、世銀の内部監査の部門で募集があり、自分の興味に近い仕事ではないかと応募し、また世銀グループに戻ってきました。それからスリランカに滞在した時期を除いて、内部監査部門で働いてきました。スリランカはパートナーが現地オフィスに赴任することになったことによるもので、滞在中は会計会社のリスクコンサルティング部門で働いていました。これは現地採用で、駐在員のようなプロテクションも無く、現地の同僚と、現地の給与で働いたものです。トゥクトゥクでお客さんに会いに行ったりもしましたよ。非常に良い経験でした。内戦が激しくなって、予定を切り上げて帰ってこなければなりませんでしたが。

これまでのキャリアの中で、重要だと思っていることは何ですか?

まず、自分の原点をしっかりと見定めることです。自分の根源的な疑問を持ち続けて下さい。そうすると、自ずと切り捨てられるもの、切り捨ててはいけないものが明確になります。その上で、自分の視点をしっかりと持って下さい。「なぜ?」と常に考え続けるんです。そして、論理的に自分の考えをまとめ、発信する力は大切です。縮こまっていないで、自信を持って、自分を打ち出してゆくのには訓練も役立ちます。例えば私はToastmastersなんかにも参加していました。

それから、自分の強みを見極めて下さい。私は、筋道を立てて考えること、複数のことを繋げて考えることは得意で、これは当たり前のように聞こえるけれど、出来る人はそんなに多くないんです。あと、キャリアを直線的に考えないことも大切です。いろんなことが、コントロールできない出来事が人生には起こります。そんな中でも、自分が何をしたいのかが分かっていれば、Opportunityは見えてきます。私は今、世銀にいますが、世銀にいたいからいるわけではなく、自分のやりたいことを求めて、ここにいます。硬直的に考えず、自分が大切だと思うものを追求していって下さい。

最後に、可能性を信じて下さい。往々にして自分の可能性を制限しているのは自分自身だったりします。まずやってみることが大事です。

マネジメントの立場から、若手にどのようなものを求めていますか?

我々が考えている方向や優先順位をしっかりと理解して、指示がなくとも動いて下さい。アドバイスやフィードバックがあれば、それを深く理解して、それを単に打ち返すだけではなく、それ以上のものを出して来て下さい。新しい視点やアイデアを提供し、本質的な質問をして下さい。常に次の一手を考え、先回りして下さい。そんな風に、マネジメントの考えることを予測して動く練習というのは、自分のマネジメント能力を培うのにも役立ちます。

ネットワーキングの肝というのはあるのでしょうか。

アライアンスを作ってゆくということが重要だと思います。どんな立場にあっても、自分のやりたいことを自分だけで実現することは大変です。まず、人の教えを積極的に請うことから始められると思います。世銀の人なんかはみんな教えたがりですからね、これまで私が頼んで断られたことはありません。それをしっかり消化した上で、しかし同じではない自分なりの考えを持つことが大切だと思います。それから、他の人たちのそれぞれの動機を理解して、彼らにとって役立つアイデアを還元してゆくことです。こんな形でGive & Takeの建設的な関係を作ってゆくことが出来ると思います。

女性としてキャリアを形成する上で心がけたことはありますか?

まず、こちらではキャリアにおける女性に対する差別はありません。日本では何かにつけて「女性だから...」という言葉が出てきましたが、こちらに来て、やっと普通の人間になれた、と感じました。

キャリアは長期で考えるのが重要だと思います。人生には色々なイベントがあります。結婚、出産、育児。近視眼的にキャリアを考えていると、破綻してしまうこともあるかも知れません。そこはリラックスして、長期的に歩んでゆきたい道を考えてゆくようにしてきました。自分なりのバランス感覚も大切です。継続できるモデルを作らないといけません。パートナーと協力して、役割分担して、アウトソースして。割り切りも必要です。日本の世間一般の母親がしてあげていることを子供に対してしていないと、自分はダメな母親じゃないか、なんて悩んでしまうこともあるかも知れませんが、自分のバランス感覚を持って進んでゆけば良いのだと思います。もちろん、色々なことをこなさなければいけないので、効率を追求して、常にインプットとアウトプットを考えてはいます。キャリアをしっかりマネージする母親像を子供に見せることは良いことだとも信じています。

これから留学など海外へ出てゆこうとする若い世代に一言お願いします。

留学して違う視点を学ぶということに重点をおいて、その留学の期間を過ごしたり、留学準備を進めたりして下さい。日本人留学生の中で固まってしまって、学んでいる場所が外国に移っただけで、日本で勉強しているのと同じになってしまっては元も子もありません。その後何をするにしても、新しい視野や視点を得る、新しい考え方、今まで知らなかった現実に触れるということが出来れば、外国で学んだ価値はあるのだと思います。

スペインでは、学んでいる学生にはヨーロッパ人が多かったんです。北米からの学生もいましたが、やはり欧州の人たちが多く、ラテンアメリカの人々なども多くいたように憶えています。そうした環境で学んでいて、日本での外国=アメリカという固定観念、アメリカがDominateしているというような無意識的な感覚が覆されたのは新鮮でした。アメリカというのは、絶対的な存在ではなく、数ある国の中の一つに過ぎないんです。当たり前のことなのですけれど、アメリカの声だけを必要以上に重点的に聞く必要はないのだな、と。アメリカの大学院にいても他の地域に気を配って、各国からの留学生の違う視点に触れることは大切だと思います。SAISはボローニャや南京にキャンパスがあるので、違う環境で学んでみるというのも良いと思いますよ。そうして視点を変える経験を通して、自分の考え方を相対的に見ることが出来るし、人の考え方も相対的に考えられるようになります。私自身、自分の価値観を作ってゆくのにこれが役に立ってきたと思います。

スペインにいるときに面白かったのが、アメリカだと一番になることがいい、大きいことがいい、というような感覚があると思うのですが、そういうことをアメリカ人の学生が発言すると、欧州人はケラケラ笑うんです。そういう風に見てるんだ、と。これはとても面白かったです。

留学する前から、留学した後にどうしようとそんなに悩む必要はないと思います。留学している間に考えも深まってきます。留学する前にあれこれ思い悩むことはあまり役に立たないかも知れません。もちろん、大きな方向性などはしっかり考える必要はありますが、例えばどんな職業に就きたいか、など細かいことは考えても仕方ありません。いろんな新しい視点、アイデアに触れて、自分の考えも発展してゆくものですから。私は、そんなことを悩まずに、とりあえず飛び出してみた方が良いと思います。

2015/12/09

Tadashi

Tadashiさんは2016年に修士課程を終える予定の在校生です。証券会社にて投資銀行ビジネスに従事した後、SAISへ留学しました。専攻は開発(IDEV)です。
米州開発銀行にて。


簡単に経歴を教えて下さい。留学のきっかけは?

日本の大学の法学部を卒業し、証券会社でM&Aのアドバイザリーサービスに3年半ほど携わりました。その後、アジア経済研究所開発スクールを経て、SAISに留学しました。それまではずっと日本で暮らしていたのですが、飛び出してきた形です。留学することを考え始めた理由は幾つかあります。大学4年生の時にガーナのNGOでインターンをする機会があり、現地の子供たちにアントレプレナーシップを教えていました。その時から、新興国について、さらに開発金融機関について興味が湧いてきたことが一つ目ですね。世界銀行グループなどに関心がありました。社会人経験を積む中では、M&A案件においても新興国の案件はマーケットや規制の面で特徴的で、そうしたところにも面白さを発見しました。それから、キャリアについて考えたときに、クロスボーダー案件がどんどん増加してゆく中で海外経験も無い自分の将来に危機感を感じるようになりました。この3つが留学の主な動機です。なので、政策系のことが学べ、世界銀行などに卒業生の多い大学院を中心に出願し、SAISに来ました。

これまでのところのSAISの印象を教えて下さい。

授業や教授陣にはもちろん満足しています。しかし、SAISの一番のアドバンテージはワシントンに位置しているということだと思います。さらに、そのワシントンにおいて高い知名度があるということも大きなメリットだと感じています。開発機関やNGO、途上国を対象にしているプライベートセクターの企業等、ネットワークを増やすにはこれ以上のアドバンテージはありません。関係者と知り合うだけではなくて、インターンなどの形で、実際にそうした場所で働く機会も非常に多くあります。私は今年の夏に米州開発銀行でインターンをしましたが、その時の上司とは今でもランチを一緒にしたりします。また、来学期にはワシントンにある国際機関を対象に提言を行うNGOでインターンをすることになりました。国際機関やNGOの採用プロセスというはネットワーキングがものを言うことも多いので、SAISの立地と評価にはとても助けられています。

SAISの授業でも、そうした国際機関を意識するものがあったりします。International Financial Institutionsという授業を取ったのですが、教えている先生はアジア開発銀行や世銀でキャリアを積んできた人で、ブレトンウッズに始まる世銀やIMFの歴史、ADBやIDBなど地域ごとの開発銀行について議論したり、そうした国際機関のガバナンスやセーフガードといったトピックを扱いました。過去だけれはなく、今、国際機関がどちらを向いているのか、などというのも意識的に取り込んでいる気がします。例えばAIIBの果たす役割や、既存の国際機関との関係というのはとてもホットな話題ですよね。そうしたことを、中を知っている人と議論するというのは、やはりSAISならではだと思います。IMFの専務理事代理を務めたジョン・リプスキーが授業に来て、いろんな裏話やギリシャ危機について喋ったり、IFCで働く卒業生を訪問したり、そういう授業でした。

卒業後のキャリアはどんな風に考えていますか?

自分のバックグラウンドや、先ほど述べた開発への興味なんかを考え合わせて、途上国のプライベートセクター開発に携わって行くことを考えています。具体的には世界銀行やIFCなどを想定していますが、必ずしもそうした公的機関だけがその分野に携わっているわけではないので、プライベートセクターの企業やNGOも視野に入れて考えています。

インターンについて教えて下さい。

IDBのインターンは公募がありました。そういう意味では公式ルートですね。もちろん、IDBで働く卒業生に話を聞きに行ったり、そうした努力はしました。仕事は財務部門で、アジア経済とアメリカ企業のクレジット分析をするものでした。そうした調査は、IDBの投資の基盤となるんです。IDBのカルチャーは日本で働いていた環境とは全然違いましたね。端的に言えばフランク。ラテンのカルチャーで、5時半にはみんな帰っていました。いろいろと得たものもあります。履歴書にIDBでの経験を書けるのは、次のインターンにも繋がりました。それと、日本人の真面目さが評価されることは良い発見でした。締め切りを守るとか、きちんとやるとか、そうした基本的なことが評価されるんです。これは自信に繋がりました。中の人たちとのネットワークも貴重な財産です。

次のNGOのインターンも、公募でに応募する形で取りました。IDBにしても、NGOにしても、面接はかなり直接的でした。「○○が仕事なんだけど、できる?」という。日本の新卒採用なんかである、熱意を聞かれるというのではないんです。そういう意味で、IDBは前職の証券会社の経験がなければ採用されなかっただろうし、IDBの経験やネットワークがなければNGOでのインターンは無かったのだろうと思います。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

留学は、何かしら留学をしなければ出来なかったであろうキャリアチェンジをするためのものだと思います。留学を機に地域、業種、職種などをスイッチできます。大学院の学費は非常に高いですし、二年間の間収入が無くなることに加え、日本に戻る場合、例えばMBA含め修士を取ったから給料が上がるということは難しいことなども考え合わせなくてはなりません。私費で行く場合には、自分がもともといた所に戻るのであれば、単に良い経験だったというだけではやはり費用に見合わない可能性が高いと思います。もちろん本当に良い経験であることに疑いはないのですけれど。なので、自分がどういうキャリアを目指すか、何がしたいかを、留学の決断に際しては深く考えることになると思います。その中で、どんな大学院を目指すかは自ずと決まってくるはずです。もしそれが国際機関やNGO、パブリックセクター、あるいは民間であっても開発に関わる仕事であれば、SAISは非常に良い選択だと思います。

SAIS Japan ClubのHappy Hourが毎年一度開催される。

2015/12/08

Hiro

HiroさんはSAISのライシャワー東アジア研究所で客員研究員として勤務しています。日本企業において長くキャリアを積んできた他、米国の経営大学院での留学経験があります。シニアな視点から見たSAISにおける学びについてお話を伺いました。

研究室にて。

SAISという学校はどのように目に映っていますか?

SAISという学校は独特なんです。決定的にロケーションが違います。学者を養成する大学院ではありません。SAISは理論を学んで議論をするだけではなく、理論と現実社会の間を埋めてゆく大学院なんです。セミナーなどでいろいろな人、学者だけではなく一線級の実務家を呼んで、現実を議論するんです。理論として学んだものを国際的な課題の解決に取り組みたいという学生にとって、DCで学ぶということは特別です。学問と実践を繋ぐ、そうした構造はむしろビジネススクールに近いと言っても良いと思います。繰り返しますが、ただ本を読んで学ぶだけではなく、政府、国際機関の、今、国際関係が動いているコミュニティの真っただ中に位置するという独自性は、これはものすごく大きいのだと思います。

SAISで学べること、学ぶべきことは何なのでしょうか。

座学で学べる内容自体はすぐに陳腐化してしまうんです。国際政治の理論なんて数年で新しい現実を説明出来なくなります。理論はバックワード・ルッキングなんです。我々はフォワード・ルッキングな思考で現実と対峙しなければなりません。だから、学問をする中身自体には意味が無いんです。SAISの特色である、先ほど述べましたがロケーション、DCは米国の首都というだけではなく、世界の政治の中心なんです。そこに勉強しにくる各国の学生たちと交わることは非常に価値あることなんです。例えば台湾の外交官がいる、インド政府の役人がいる、そんな各国を代表する人々と交わることができる、これはワシントンならではです。彼らはそれぞれの政府が意図を持って送り出す学生です。大きなコストをかけてもワシントンで学ばせたい、そんな選りすぐりが来ています。実はみんな悩んでるんです。日本だけが悩んでいるわけではありません。各国の学生の持つ悩み、政府の持つ悩みは日本人や日本政府のそれとはまた違うんです。そんな核心部分に触れることが出来ます。それで、本当に他者を理解することができるんです。

SAISに来た学生にどのようなことを期待しますか?

繰り返しますが、極論すれば学ぶ内容自体に価値はないんです。むしろ仲間とのコミュニケーション、志を持つ同級生たちとネットワーキングをしっかりと行って欲しいと思います。ネットワーキングというのは薄っぺらいものではなく、お互いを本当に理解する、そんな関係を作って行って下さい。同年代の仲間たちと、国際色豊かな環境で、いろいろな想いを持つ人と交わることができます。CSIS、Brookingsといった、世界をリードするシンクタンクへのアクセスも容易です。学生でもシニアな実務者などの講演を聴き、知り合うことすら出来ます。皆さんが目指すキャリアにおいて成功している人たちと話しに行けるんです。これは世界でキャリアを築いてゆく中で、本当に重要です。大学院で、勉強だけではなく、こんなプラクティカルな活動を若いうちに経験し、体得して、ぜひ今後に活かして欲しいと思います。

過去にも米国に滞在したことがあるんですが、SAISに来る日本人が減っています。これは、ワシントンにおける日本の地位が落ちて来ていることを示しています。例えば貿易摩擦が喧伝されていた頃は、今の中国が占めているポジションに日本があったんです。アメリカも日本人を呼び込んで、我々から学びたがっていました。日本も、貿易摩擦を解決しなければいけない、そのためにはワシントンへ人を送って、何が出来るのか見つけなければいけない。そんなことを背景に、多くの日本人が渡米して、ワシントンで学びました。今、日本人はどれほどワシントンの重要性を認識しているんでしょうか。翻って、ワシントンの人々は日本の重要性もについてどう考えているんでしょうか。これは日本が真剣に考えないといけない、大きな課題です。本当の政治のゲームが起きているのはワシントンなんです。若い皆さん、本当に国際政治を学びたければワシントンに来て下さい。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

日本を飛び出して、日本社会の中で生きてゆく緩さから、120%自己主張と説明責任を伴う外の世界に来て下さい。日本の良さを再認識すると同時に、海外で活躍することの意義を感じて欲しいと思います。どこの大学院でもいいです。日本の中で実力を発揮できることと、海外で揉まれてついた実力というのは全く違います。日本のやり方はでは、よく不言実行が賞賛されますが、これは世界では通用しません。世界では有言実行です。価値観が違うんです。それをわかっていないと、交渉では負けます。自分が何が出来るかを示し、成果を出し、貢献するのが決定的に重要です。国際交渉で、その交渉の中で実力を発揮するのに必要なことは日本では学べません。それを実際に外の世界に出て学んで下さい。

語学力の優先度は低いと思います。むしろ、わかってもらう努力が重要なんです。説得力とでも言いましょうか。理解してもらおうとする努力は伝わるんです。本当の交渉能力は相手との信頼を築けるか、ということに尽きます。人間性、話していて面白いか、そんなことが重要です。そうしたことは場数を踏み、経験することで出来て来ます。英語力は最低限あれば良いと思います。日本人の多くは国際折衝能力において欠けるところがあります。それは英語の上手下手ではなく、多様な考え方を受容することで、相手を説得する、そういう努力が必要です。外交官、国際関係でキャリアを考える人にはワシントンに来て、これを体得して行って下さい。
ライシャワー研究所のあるSAISのRome棟(左手)を眺める。

Erina

Erinaさんは2016年に修士課程を終える予定の在校生です。総合商社にて資源ビジネスに従事した後、SAISへ留学しました。

クラスメイトたちと。

簡単に経歴を教えて下さい。留学のきっかけは?

イギリスで生まれた後、高校まで日本、インドネシアとシンガポールで育ちました。インドネシアにいたのは1996年から1998年で、政変に立ち会うことになりました。加えて、貧困の蔓延を間近に見てきたこともあり、自然と開発に関わる勉強、仕事がしたいと思うようになりました。大学では政治学科に入り、一般的な政治の勉強をしました。在学中にUCLAに交換留学で一年間滞在し、国際開発を初めて学ぶ機会を得ました。大学卒業後、留学するか仕事をするか迷い、社会人経験を選びました。開発に関わる仕事ということで、商社を選びました。直接途上国と関わる仕事が出来ると思ったんです。商社では非鉄金属のトレーディングと投資を主に担当しました。その間、インドのデリーに4ヶ月ほど派遣されたことがあり、ニッケルのマーケティングに携わりました。製鉄会社を訪ねたり、トレーダーに話を聞いたりしながら、需給調査を進めました。そんな時に、あるアルミニウムに関わる投資案件で、先輩と話をする機会がありました。西アフリカのギニアに関してだったのですが、埋蔵量も多いし、品質が高い国であるにもかかわらず、鉱業法が毎年変わったり、頻繁に税制の変更があります。そうすると、投資側はキャッシュフローも引けないということで、投資をあきらめたことがあったそうなんです。途上国、特に資源国の開発に携わりたかったのですが、ガバナンスに問題があったり、政治リスクがあったりする場合に投資を通じたアプローチは出来ない、そんな限界を感じたことで留学を決意しました。一旦外で勉強して、そうしたガバナンスなどの問題に直に関わってゆきたいと思っています。

これまでのところのSAISの印象を教えて下さい。

みんな頭が良いと素直に思います。Creativeな意見が多く、柔軟な考え方が出来る人たちが集まっています。それに、イベントが毎日あって、いろんな人が訪れる。国際関係や経済に少しでも関わりがあれば、何でもイベントになります。そうしたことを通して、今まで知らなかった分野を開拓できるんです。これはSAISという学校だけにとどまらず、街全体がそうした機会の宝庫ですね。日本でメディアなどを中心とした限られた情報源とは違います。そういえば、アメリカ人って英語しか話さないイメージもありますが、SAISに英語しか喋れないアメリカ人はほとんどいません。それぞれ地域のフォーカスがあったりして、いろんな言葉を喋れる人が多いんです。

UCLAでは学部生として国際開発を学びました。日本の大学は緩いところがあると感じていたのに対し、UCLAに行って、始めて自分が真剣に考えていたトピックが議論されていると感じました。ダルフールの虐殺に対して声をあげているグループがあったり、LGBTに関して声を上げるグループがあったり。ユダヤ系グループとパレスチナ関係のグループが目の前で対立しているなんてことも目の前で起きていました。そんな環境で、国際関係を身近に感じましたね。世界の縮図を見た、とでも言えるかも知れません。日本の新聞を眺めていても分からないことを、肌感覚で理解出来るんです。SAISもそうした環境だと思います。しかし学部と違い、大学院ではフォーカスを定めないと意味が無いと思います。学部の頃はより一般的な、入門的な内容でも満足出来ていました。しかし大学院を卒業したときに「私はこれをしました」と、よりフォーカスを絞って、自信を持って言えなければいけないと思います。マイクロファイナンスについてやりました、腐敗と民主主義をじっくり学びました、というような「これ」と自分を打ち出してゆけるものを見つけたい、そんなことを思いながら学んでいます。

SAISにもキャリアサービスというのがあります。日本の大学で言うと就職課ですね。彼らは、うまく使えばいろいろと教えてくれるし、Employer Sessionもあるんですが、それは入り口でしかないんです。それ以上は、常に自分次第。SAISに行けば自動的にキャリアが開ける、なんていうことはありません。現在、UNDPでインターンをしています。これは公募すらなかったのですが、自分から連絡してみると、選考してくれました。自分でどんどん動いて行かないといけませんね。そういう意味で、日本とは違います。メールして、コーヒーして、フォローアップ。使えるものは全て使って行きます。教授陣もリソースの一つです。彼らから人を紹介してもらったり。

IDEVについて教えて下さい。

同級生のバックグラウンドが様々です。今のルームメイトもIDEVなんですが、マレーシアで英語を教えたり、カンボジアで女性の社会進出を助ける仕事をしていました。他にも、米国版の青年海外協力隊でコートジボワールに派遣されていた人、PKOでタンザニアの武装解除に関わった人、投資銀行にいた人。公的セクターからから民間まで、本当に色んな人がいます。

IDEVでは開発という大枠の中でそれぞれが違うフォーカスを求めます。紛争地域におけるその後の開発、Financial Inclusion、マクロなガバナンス、Mobile Payment、教育。ものすごく幅広いんです、開発って。その開発のいろいろな側面から自分で絞って選び、それにフォーカスしてゆきます。だから、IDEVの授業のリストはとても長いんです。

2年目の冬休みはプラクティカムという、実際のプロジェクトから学ぶプログラムに参加します。International Water Management Institutionという水関連のクライアントと働きます。場所はスリランカで、水資源に関するローカル行政を扱います。Tragedy of Commonsというテーマですね。水資源ををどうやって効率的に管理してゆくのかが課題です。ステークホルダーの分析をもとにして、提言を作ります。ジェンダーというのは非常に重要な要素として認識されるので、女性や貧困層をいかに参加させてゆくのか、これもしっかり見てゆきます。スリランカというのは長く紛争が続いてきた国です。それがどうローカル行政に影響を残しているのかというのも興味深いですね。IDEVのプラクティカムの目的は途上国にいって実際の経験を積むこと。IDEVとクライアントから資金が出ています。他にもチームがあり、スリランカ、インド、ケニア、ナイジェリア、エジプトで、インドには2チームが派遣されるので合計6チームですね。4−5人で1チームなので、30人近くがプラクティカムに参加します。Literature Reviewから実践まで、全てやります。方法論を議論して、統計的な裏付けを確認し、調査のデザインを効率化する、これって実際に開発の現場で調査をするのと同じことで、それを学生のうちに経験ができるんです。

そういえば、IDEVでは夏休みの間に、途上国で無給インターンをする場合の補助が充実しています。他のプログラムでも同様の補助はある場合もあるのですが、IDEVは一番手厚いと思います。私はケニアでインターンをしていました。例えばアフリカの低所得国に日本から行くのは大変なので、こうした機会に現地に行って経験を積むのは意義のあることだと思います。

IDEVは1クラス20人ちょっとがDCのキャンパスで始め、1学期目にIntroduction to Developmentという授業を皆で一緒に取ります。けっこう負担も大きくて、そのなかでグループが結束してゆくというのもあります。それと、IDEVは必ず学期前にミクロ経済学を終えていなければなりません。Pre Termで取る人が多いと思いますが、そこでも仲良くなります。失敗するとIDEVに入れない緊張感というのも共有しながら。

そういえば、出願するときにSAISの経済重視の部分って少し不安だったんです。政治学をやっていて、マクロミクロくらいしか勉強したことがなかったからです。でも、来てみると心配するほどでもないです。Applied Econometricsなど、より高度なものをやる人もいるけれど、MAを終えるために必ず取らなければならない経済学に関しては、大丈夫です。どこまでやるかは自分で考えて選べます。私は毎学期、二つ経済、二つ非経済のバランスで科目を取っています。英語についてはそこまで問題はないのですが、ただ、書くという作業はとても大変で、非経済科目を取りすぎると過大な負担になりかねません。

卒業後のキャリアはどんな風に考えていますか?

悩んでいます。国際機関で政府を対象にしたキャパシティビルディングに取り組んでインパクトを生み出してゆくのか、一方で、そこに行く前に途上国経験を積むべきなのか。自分が何をしたいのかを考えた時に、いずれは資源に関する行政、税制などに関わってゆきたいのですが、まだ専門性が足りないと感じています。それに、もっと大きな問題、例えば腐敗、財政といった問題があれば、その一部分を改善したところで本当に現実が変わるのか、そうすると、どこにアプローチをしてゆくべきなのか…そんなことを悩んでいます。国際機関を知ってゆくとその限界も発見することになるんだろうとも思っています。でもやはりガバナンス支援でUNDPで働いてみたいなという気持ちはあります。可能であれば西アフリカ諸国のカントリーオフィスに興味があるのでフランス語もSAISで勉強中です。UNDPは当事者をまとめる能力があり、現地に根付いているという印象があります。世銀のExtractive Industryや、Resource Managementのセクターにも興味があります。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

私は留学して良かったと思います。最初はとても不安でした。社会人をやっている間はアカデミックな場から離れていましたから。平日と週末がある感覚から、週末こそ勉強しなければというスケジュールへの転換は大きいと思います。また、ここでは、いろんなトピックに触れることができます。経済から腐敗、Research Methodのデザイン、そうした開発の様々な課題を日常的に見たり聞いたり読んだり、議論したりします。例えば、以前はセミナーに参加しても質問が思い浮かばなかったけれど、今はどんな話題に関しても、Relevantな質問が浮かんで来るようになりました。これは日本で目にした情報、勉強からは得られないものだったと思います。学生、教授との何気ない会話の中でも、いろんな開発のトピックについての知見を深めることも出来るんです。会社を辞めて来るからには何かしら得なくては、という覚悟もあり、またこれまでのSAISでの生活で、大きなものを得て来ていると感じます。本当に来て良かったと思います。私の受験は11月に準備を始めて、1月に出願という強行スケジュールでした。皆さんは計画的に進めて下さい。でも、思い立って行動しても、何とかなります。
Dupont CircleはSAISから歩いて5分、地下鉄駅もあり、多くの人が行き交います。


2015/12/07

Ichi

Ichiさんは2015年12月に修士課程を終える在校生です。コンサルティング会社に勤務した後、災害対応を行うNGOで活動、INSEADとSAISでMBAとMAを取得するDual Degreeに取り組んでいます。

ボローニャにてクラスメイトと

簡単に経歴を教えて下さい。

日本の大学で法律を学んだ後、経営コンサルティング会社に勤務し、東北大震災の後に災害対応を行うNGOに参画、その後、フランスとシンガポールにキャンパスのあるINSEADへ留学しました。INSEAD在学中にSAISへ出願し、Dual Degreeプログラム生としてSAISへ来ました。イタリア・ボローニャキャンパスで1学期(半年)とワシントンDCキャンパスで2学期(1年)を過ごして2015年末に卒業予定です。

Dual Degreeにしたのはどうしてですか?

MBAで学ぶことは幅広いビジネスの知識、例えば経営戦略や会計、マーケティング等に関わる内容が主ですが、新興国の経済やビジネス、開発といったテーマを政策面も含めてもう少しフォーカスして勉強してみたいと思うようになりました。それもあって、ビジネススクールに在学中にSAISに出願しました。災害支援には関心があり、東日本大震災、そしてフィリピンの台風や今年のネパールの地震などでは現地で支援活動に従事してきました。人道支援や災害救援も視野に入れつつ、政策や経済について学ぶためSAISに来ました。そういう意味ではINSEADの学びを補完するテーマをSAISで学びたいと思っていました。一方で、過去の卒業生から「Dual Degreeをすると可能性は広がるけれど、それだけにより迷うことになるかも知れない」と言われたことは本当で、それはDual Degreeを始めてから目の当たりにして悩みましたね。

SAISの印象を教えて下さい。経営大学院とはどう違いますか。

ビジネススクールでは多様性のある組織の中で効果的に働き、いかにチームを率いてゆくのかという実践的な訓練を、繰り返しケースディスカッションやグループワークを通して身体に憶えさせるようなところがあります。一方でSAISはよりアカデミックな雰囲気で、論文を読んだり書いたり、より知的な探求ができる場所だと思います。過去に国際関係も経済学も学んだことがなかったのですが、例えば国際関係の理論に関するフレームワークを体系的に学ぶのは初めてで、これは現実の国際社会で起こっている複雑なものごとを理解、分析する中で役に立つように思います。この二つの異なる学びの場を経験出来たというのは価値があったと思います。それとシンクタンクや政策実務者から生の声を聞けるということは、やはりINSEADを含めて経営大学院ではなかなか無いものです。SAISと経営大学院の親和性ということで言うと、SAISは経済、金融を通じたアプローチを各分野、例えば開発学に応用、実践してゆくようなところがあるので、経済の根幹であるビジネスとはやはり切り離せないと思います。また、SAISほどではありませんが、INSEADにも開発や国際協力などの方面に興味のある学生がそれなりにいます。あと、SAISはINSEADと比べると、アメリカの学校だな、というのは感じます。SAISはアメリカの大学の中ではトップクラスの国際性ですが、それでもボローニャキャンパスですらアメリカ人が多く、INSEADのほうが国際性はより豊かだったと思います。先生との距離はINSEADの方が近かったですね。文化の違いによるものかも知れませんが。

今後のキャリアはどんな風に考えていますか?

悩んでいるところですが、ビジネスのアプローチを活かしながら社会的なミッションに取り組んでゆきたいと思っています。今までの経験は医療・ヘルスケア、災害支援分野だったので、やはりそれらの関連する分野でやってゆきたいと思っています。例えば日本の知見、技術をアジアを始め世界で活かすような仕事がしたいですね。NGOで経験したのは、何かことが起こったときにはお金が集まるんです。でも波が終わると下火になることもあり、いかに事業を継続性のあるものにしてゆくのか、そうした課題は非常に重要だと感じました。ビジネススクールで学んだことも、SAISで学んだことも明日、直接的に役立つわけではないのですが、これから国際的な環境の中で仕事をすることに関して自信がつき、長期的に役立つだろうと確信しています。SAISではより大局的に社会的な必要性について俯瞰する視点を得たので、何に取り組むべきか、何を解決したいのか、そうしたことを考える上では貴重な経験が出来たと思います。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

この2年半の間に4ヶ国で学び、様々な国から来た多様なバックグラウンドを持つ同級生たちと一緒に学べたことは楽しく貴重な経験でした。普通の修士の2年間に半年足すだけでこれだけ多くのことを楽しめたのはお買い得な感じがします。Dual Degreeにしたことで就職の幅は確実に広がって、その中から自信を持って自分のやりたいことを選び取ってゆくことができるし、逆に言えば選んでゆく必要があります。また、どんな組織にあっても、国際的な環境でよりスムーズに活躍する大きな自信がつきました。SAISとINSEADのDual Degreeプログラムは始まってから日が浅いですが、このプログラムをする人もかなり増えて来ています。公的な分野と民間の交わりというのは関心の高まって来ているところですよね。これはだんだんと両者の境目が曖昧になって来つつあり、そうした中間のところがより重要な意味を持ちつつあるということなんでしょう。Dual Degreeはそうしたアプローチを実現したい人の助けになるんだろうと思います。選択肢が増えるだけ悩みも増えるかもしれませんが、パブリックとビジネス、両方の分野に関心を持つ方にDual Degreeをお勧めします。


2015/11/23

Kenji

Kenjiさんは2014年に修士課程を終えた卒業生です。約6年半の政府勤務の後、公費派遣でSAISへ留学しました。1年目をボローニャで、2年目をDCで過ごしました。現在はまた政府で働いています。SAISでの専攻はエネルギー、資源、環境学(ERE)でした。
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恒例のIAEA Ballの前に、ウィーン市長のレセプションにて、日本人の同期と。右がKenji。

簡単に経歴を教えて下さい。

もともと環境に興味がありました。京都に住んでいて、京都議定書の話題なども身近に感じられ、将来は政治家か公務員になろうと思っていました。一橋大学の社会学部に入ったのですが行政法ゼミに参加して、専門は行政法みたいになりました。環境と開発の両立を政策面で進めようと国土交通省に入って6年働いて、その間に河川行政、経済政策などを担当しました。外務省に出向し、南太平洋における経済協力の一環で環境問題を扱ったこともありました。温暖化対策など、太陽光パネルの設置を経済協力で行ったりしましたね。

留学のきっかけは?

中学生の頃、イギリスに短期間いたことがあったり、外務省への出向があったり、その中で海外に行きたいという想いが強くなって来たところでした。政府なので留学制度があり、だったら行こうじゃないか、と。周りは公共政策大学院に留学する向きが多いものの、SAISは大枠では政策系に分類されます。他の政策大学院はよりドメスティックな視点で政策を学ぶのに対して、SAISはどちらかというと国際関係の中で政策を議論してゆきます。日本から留学するとすると、公共政策ではアジアとの政策協力などの視点も重要なので、国際系がいいな、と。SAISで作るネットワークも、そうした視点をシェアする人々が多いので、自然と国際的になります。それも魅力でしたね。

SAISの印象を教えて下さい。

プロフェッショナルな学校という印象ですね。教授、生徒ともに。アカデミックというより実務的なスキルにフォーカスしています。例えばGlobal Eletricity Marketの授業ではエネルギーのポートフォリオに関するポリシーペーパーを書いたし、EREの官民連携(PPP)の授業では環境問題に対応するためにどう民間の力を活かしてゆくか、という観点で実際にファイナンスモデルを構築してプレゼンをしたりしました。周りの学生はエネルギー会社出身、国際機関やNGOで環境に取り組んで来た人、など面白いバックグラウンドの人がいましたね。卒業後は、例えばコンサルや世銀なんかで、またエネルギーや資源関係の仕事に就く人が多い印象です。

ボローニャの印象はどうでしたか。DCと比べてどう違うのでしょうか。

ヨーロッパの雰囲気は全然違います。教授陣、生徒もヨーロッパ系が多いんです。ボローニャだけのプログラムでMAIAなどの学生も一緒にいるんですが、彼らを含めるとやはりヨーロッパ人が多くなります。いろいろなところでヨーロッパの視点を感じましたね。欧州は難民問題や、ロシア関係から直接影響を受けます。ドイツのエネルギー転換にも熱い注目が注がれていました。ロシアの天然ガス供給への依存も重要な論点として議論されましたね。これは授業だけではなくて、その他の機会に関してもです。ボローニャ大学の授業も取れて、同級生はビジネススクールの授業に潜り込んでいました。現地の学生と一緒にパーティをしたりなんてのも。クラスメイトの一人はボローニャ大学のオーケストラに参加していました。

それと、何といってもヨーロッパにいると旅行が出来るんです。ボローニャ空港も近く、そこからどこへでも行けますよ。欧州で開催されるイベントにも参加し易いです。毎年ウィーンでIAEA主催のボウルにSAIS全員で行くのも恒例になっています。バスを何台か仕立てて、ウィーナーワルツを踊りに。食べ物も美味しい。勉強で小腹が空いたらピザをサッと買いに行って、食べて図書館に戻る、とか幸せでした。ヨーロッパの国際機関でインターンする人も多かったですね。人権、環境分野ならヨーロッパも有りだと思います。ウィーンにも幾つかありますしね。

ボローニャ・センターはDCに比べると学生の数が少ない分、授業の数は少ないかも知れませんね。私は1年目に必修科目を詰め込んで、2年目で選択科目でDCの選択科目をたくさん取るようにしました。ボローニャはビッディングがあまりないので、2年目にポイントを温存して、DCで好きな授業を取りやすいかも知れません。外部のスピーカーを招くセミナーにヨーロッパの著名人が来たりするのもボローニャならでは。そういえば、経済の教授はイタリアのレンツィ首相のアドバイザーになりましたが、忙しい中でもSAISの授業を引き続き持ってくれています。ボローニャ・センターはコミュニティが小さく、外に行くとイタリア語しか通じないので、結束力が強いことは間違いありません。DCでチャオなんて挨拶している人はみんなボローニャ出身者ですよ。

卒業後のキャリアにSAISの経験はどう活かせるでしょうか?

語学、それと外国人と折衝するスキル、SAISを通じて得られる人的ネットワークは非常に価値あるものです。今も対外関係の仕事をすることがあります。少し前に、香港に出張がありました。不動産投資に関する監督、規制、制度設計といった内容を海外の投資家に対して説明し、彼らからの声を聞くんです。来月はシンガポールの政府関係者がやってきて、また話をしたりします。そういうところで、やはりSAISの2年間は役立っているな、と思います。ちなみに香港ではSAISの同期がCitibankで働いていて、コーヒーを飲みながら意見交換しました。ネットワークということで言えば、SAIS在学中に話を聞きに行った人、例えばミャンマーについて書いているときにミャンマー大使館の人に話に行きました。同級生や教授だけではなく、そうしたところから出来るネットワークは日本にいては作れませんよね。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

SAISに行けば幅は広がります。仕事も、キャリアも、ネットワークも。これはぜひ経験して欲しいですね。SAISのボローニャ・プログラムは、一粒でDCとボローニャ二度美味しい。これはやらないと。DCで仕事を探す人にはハンディキャップが出来るかも知れませんが、でもそれを補って余りある経験ですよ。
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ボローニャの街には800年前からずっと残されているポルティコ(アーケード)が張り巡らされています。