2015/12/12

Yuko

Yukoさんは世界銀行グループ内部監査局における戦略業務部長を務めています。ナバーラ大学(スペイン)でMBA、SAISでMIPPを修了しました。今回はシニアの視点からのキャリアなどについて語って頂きました。
世銀にて同僚と内部監査協会の幹部と。

簡単に経歴を教えて下さい。

大学では社会学を学んでいました。これには高校で学んだ政治経済の先生の影響が強かったと思います。日本は高度経済成長の真っ只中にあり、様々な社会問題に直面していた頃です。水俣病など公害もまだ過去のものではありませんでした。社会がどう動いて、どう進化してゆくのかに興味があり、ジャーナリスト志望の学生でした。

その後、就職した先は証券会社でした。男女雇用機会均等法が成立したちょうどその頃で、総合職として働き始めました。広報の仕事をした後、手を挙げてナバーラ大学でMBAを取りました。多くの人は米国の大学院に行ったのですが、私は違ったことをして、ヨーロッパに行ってみたいと。帰ってから、中南米の政府などの債券発行に関わる仕事を始めました。それまでの暗黒の時代が終わり、民主化なども進んで来たところでしたね。そこでまた、こうした債券で調達された資金はどのように使われているんだろう、どのようにそれらの国の経済発展に寄与しているのだろう、と気になり始めました。出張の帰りにワシントンに寄って、調べ物をしたり、人と会ったりしているうちに、きっかけがあり、アジアの金融セクターについてわかる人を探していたIFCに移ることになりました。

SAISで学んだのはそのときです。IFCでTransactionを回している中で、もっとそのコンテクストを理解したいという欲求が湧いてきました。なぜ、自分たちの業務が必要とされているのだろう、という根本的な質問に対する答えを求めていたんです。SAISでは夜間学生としてMIPPを取りました。その後、米州開発銀行のIICへ移りました。これは子供が出来たこともあって、距離的に近い中南米の担当をした方が負担が少ないという考えもありました。そこでも投資案件をこなしていたのですが、そうしたTransactionを毎回経験する中で、その中のどの部分に最も関心があるか、ということを考えるようになりました。私の場合は企業統治や内部統制といったところでした。企業や組織がどのように意思決定をしてどのような仕組みで動いているかということを考えることは投資案件を検討する中でしていましたが、そういう点をもっと深く調べられる仕事がないかなと機会を探すようになりました。

IICに移って4年ほど経った頃、世銀の内部監査の部門で募集があり、自分の興味に近い仕事ではないかと応募し、また世銀グループに戻ってきました。それからスリランカに滞在した時期を除いて、内部監査部門で働いてきました。スリランカはパートナーが現地オフィスに赴任することになったことによるもので、滞在中は会計会社のリスクコンサルティング部門で働いていました。これは現地採用で、駐在員のようなプロテクションも無く、現地の同僚と、現地の給与で働いたものです。トゥクトゥクでお客さんに会いに行ったりもしましたよ。非常に良い経験でした。内戦が激しくなって、予定を切り上げて帰ってこなければなりませんでしたが。

これまでのキャリアの中で、重要だと思っていることは何ですか?

まず、自分の原点をしっかりと見定めることです。自分の根源的な疑問を持ち続けて下さい。そうすると、自ずと切り捨てられるもの、切り捨ててはいけないものが明確になります。その上で、自分の視点をしっかりと持って下さい。「なぜ?」と常に考え続けるんです。そして、論理的に自分の考えをまとめ、発信する力は大切です。縮こまっていないで、自信を持って、自分を打ち出してゆくのには訓練も役立ちます。例えば私はToastmastersなんかにも参加していました。

それから、自分の強みを見極めて下さい。私は、筋道を立てて考えること、複数のことを繋げて考えることは得意で、これは当たり前のように聞こえるけれど、出来る人はそんなに多くないんです。あと、キャリアを直線的に考えないことも大切です。いろんなことが、コントロールできない出来事が人生には起こります。そんな中でも、自分が何をしたいのかが分かっていれば、Opportunityは見えてきます。私は今、世銀にいますが、世銀にいたいからいるわけではなく、自分のやりたいことを求めて、ここにいます。硬直的に考えず、自分が大切だと思うものを追求していって下さい。

最後に、可能性を信じて下さい。往々にして自分の可能性を制限しているのは自分自身だったりします。まずやってみることが大事です。

マネジメントの立場から、若手にどのようなものを求めていますか?

我々が考えている方向や優先順位をしっかりと理解して、指示がなくとも動いて下さい。アドバイスやフィードバックがあれば、それを深く理解して、それを単に打ち返すだけではなく、それ以上のものを出して来て下さい。新しい視点やアイデアを提供し、本質的な質問をして下さい。常に次の一手を考え、先回りして下さい。そんな風に、マネジメントの考えることを予測して動く練習というのは、自分のマネジメント能力を培うのにも役立ちます。

ネットワーキングの肝というのはあるのでしょうか。

アライアンスを作ってゆくということが重要だと思います。どんな立場にあっても、自分のやりたいことを自分だけで実現することは大変です。まず、人の教えを積極的に請うことから始められると思います。世銀の人なんかはみんな教えたがりですからね、これまで私が頼んで断られたことはありません。それをしっかり消化した上で、しかし同じではない自分なりの考えを持つことが大切だと思います。それから、他の人たちのそれぞれの動機を理解して、彼らにとって役立つアイデアを還元してゆくことです。こんな形でGive & Takeの建設的な関係を作ってゆくことが出来ると思います。

女性としてキャリアを形成する上で心がけたことはありますか?

まず、こちらではキャリアにおける女性に対する差別はありません。日本では何かにつけて「女性だから...」という言葉が出てきましたが、こちらに来て、やっと普通の人間になれた、と感じました。

キャリアは長期で考えるのが重要だと思います。人生には色々なイベントがあります。結婚、出産、育児。近視眼的にキャリアを考えていると、破綻してしまうこともあるかも知れません。そこはリラックスして、長期的に歩んでゆきたい道を考えてゆくようにしてきました。自分なりのバランス感覚も大切です。継続できるモデルを作らないといけません。パートナーと協力して、役割分担して、アウトソースして。割り切りも必要です。日本の世間一般の母親がしてあげていることを子供に対してしていないと、自分はダメな母親じゃないか、なんて悩んでしまうこともあるかも知れませんが、自分のバランス感覚を持って進んでゆけば良いのだと思います。もちろん、色々なことをこなさなければいけないので、効率を追求して、常にインプットとアウトプットを考えてはいます。キャリアをしっかりマネージする母親像を子供に見せることは良いことだとも信じています。

これから留学など海外へ出てゆこうとする若い世代に一言お願いします。

留学して違う視点を学ぶということに重点をおいて、その留学の期間を過ごしたり、留学準備を進めたりして下さい。日本人留学生の中で固まってしまって、学んでいる場所が外国に移っただけで、日本で勉強しているのと同じになってしまっては元も子もありません。その後何をするにしても、新しい視野や視点を得る、新しい考え方、今まで知らなかった現実に触れるということが出来れば、外国で学んだ価値はあるのだと思います。

スペインでは、学んでいる学生にはヨーロッパ人が多かったんです。北米からの学生もいましたが、やはり欧州の人たちが多く、ラテンアメリカの人々なども多くいたように憶えています。そうした環境で学んでいて、日本での外国=アメリカという固定観念、アメリカがDominateしているというような無意識的な感覚が覆されたのは新鮮でした。アメリカというのは、絶対的な存在ではなく、数ある国の中の一つに過ぎないんです。当たり前のことなのですけれど、アメリカの声だけを必要以上に重点的に聞く必要はないのだな、と。アメリカの大学院にいても他の地域に気を配って、各国からの留学生の違う視点に触れることは大切だと思います。SAISはボローニャや南京にキャンパスがあるので、違う環境で学んでみるというのも良いと思いますよ。そうして視点を変える経験を通して、自分の考え方を相対的に見ることが出来るし、人の考え方も相対的に考えられるようになります。私自身、自分の価値観を作ってゆくのにこれが役に立ってきたと思います。

スペインにいるときに面白かったのが、アメリカだと一番になることがいい、大きいことがいい、というような感覚があると思うのですが、そういうことをアメリカ人の学生が発言すると、欧州人はケラケラ笑うんです。そういう風に見てるんだ、と。これはとても面白かったです。

留学する前から、留学した後にどうしようとそんなに悩む必要はないと思います。留学している間に考えも深まってきます。留学する前にあれこれ思い悩むことはあまり役に立たないかも知れません。もちろん、大きな方向性などはしっかり考える必要はありますが、例えばどんな職業に就きたいか、など細かいことは考えても仕方ありません。いろんな新しい視点、アイデアに触れて、自分の考えも発展してゆくものですから。私は、そんなことを悩まずに、とりあえず飛び出してみた方が良いと思います。

2015/12/09

Tadashi

Tadashiさんは2016年に修士課程を終える予定の在校生です。証券会社にて投資銀行ビジネスに従事した後、SAISへ留学しました。専攻は開発(IDEV)です。
米州開発銀行にて。


簡単に経歴を教えて下さい。留学のきっかけは?

日本の大学の法学部を卒業し、証券会社でM&Aのアドバイザリーサービスに3年半ほど携わりました。その後、アジア経済研究所開発スクールを経て、SAISに留学しました。それまではずっと日本で暮らしていたのですが、飛び出してきた形です。留学することを考え始めた理由は幾つかあります。大学4年生の時にガーナのNGOでインターンをする機会があり、現地の子供たちにアントレプレナーシップを教えていました。その時から、新興国について、さらに開発金融機関について興味が湧いてきたことが一つ目ですね。世界銀行グループなどに関心がありました。社会人経験を積む中では、M&A案件においても新興国の案件はマーケットや規制の面で特徴的で、そうしたところにも面白さを発見しました。それから、キャリアについて考えたときに、クロスボーダー案件がどんどん増加してゆく中で海外経験も無い自分の将来に危機感を感じるようになりました。この3つが留学の主な動機です。なので、政策系のことが学べ、世界銀行などに卒業生の多い大学院を中心に出願し、SAISに来ました。

これまでのところのSAISの印象を教えて下さい。

授業や教授陣にはもちろん満足しています。しかし、SAISの一番のアドバンテージはワシントンに位置しているということだと思います。さらに、そのワシントンにおいて高い知名度があるということも大きなメリットだと感じています。開発機関やNGO、途上国を対象にしているプライベートセクターの企業等、ネットワークを増やすにはこれ以上のアドバンテージはありません。関係者と知り合うだけではなくて、インターンなどの形で、実際にそうした場所で働く機会も非常に多くあります。私は今年の夏に米州開発銀行でインターンをしましたが、その時の上司とは今でもランチを一緒にしたりします。また、来学期にはワシントンにある国際機関を対象に提言を行うNGOでインターンをすることになりました。国際機関やNGOの採用プロセスというはネットワーキングがものを言うことも多いので、SAISの立地と評価にはとても助けられています。

SAISの授業でも、そうした国際機関を意識するものがあったりします。International Financial Institutionsという授業を取ったのですが、教えている先生はアジア開発銀行や世銀でキャリアを積んできた人で、ブレトンウッズに始まる世銀やIMFの歴史、ADBやIDBなど地域ごとの開発銀行について議論したり、そうした国際機関のガバナンスやセーフガードといったトピックを扱いました。過去だけれはなく、今、国際機関がどちらを向いているのか、などというのも意識的に取り込んでいる気がします。例えばAIIBの果たす役割や、既存の国際機関との関係というのはとてもホットな話題ですよね。そうしたことを、中を知っている人と議論するというのは、やはりSAISならではだと思います。IMFの専務理事代理を務めたジョン・リプスキーが授業に来て、いろんな裏話やギリシャ危機について喋ったり、IFCで働く卒業生を訪問したり、そういう授業でした。

卒業後のキャリアはどんな風に考えていますか?

自分のバックグラウンドや、先ほど述べた開発への興味なんかを考え合わせて、途上国のプライベートセクター開発に携わって行くことを考えています。具体的には世界銀行やIFCなどを想定していますが、必ずしもそうした公的機関だけがその分野に携わっているわけではないので、プライベートセクターの企業やNGOも視野に入れて考えています。

インターンについて教えて下さい。

IDBのインターンは公募がありました。そういう意味では公式ルートですね。もちろん、IDBで働く卒業生に話を聞きに行ったり、そうした努力はしました。仕事は財務部門で、アジア経済とアメリカ企業のクレジット分析をするものでした。そうした調査は、IDBの投資の基盤となるんです。IDBのカルチャーは日本で働いていた環境とは全然違いましたね。端的に言えばフランク。ラテンのカルチャーで、5時半にはみんな帰っていました。いろいろと得たものもあります。履歴書にIDBでの経験を書けるのは、次のインターンにも繋がりました。それと、日本人の真面目さが評価されることは良い発見でした。締め切りを守るとか、きちんとやるとか、そうした基本的なことが評価されるんです。これは自信に繋がりました。中の人たちとのネットワークも貴重な財産です。

次のNGOのインターンも、公募でに応募する形で取りました。IDBにしても、NGOにしても、面接はかなり直接的でした。「○○が仕事なんだけど、できる?」という。日本の新卒採用なんかである、熱意を聞かれるというのではないんです。そういう意味で、IDBは前職の証券会社の経験がなければ採用されなかっただろうし、IDBの経験やネットワークがなければNGOでのインターンは無かったのだろうと思います。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

留学は、何かしら留学をしなければ出来なかったであろうキャリアチェンジをするためのものだと思います。留学を機に地域、業種、職種などをスイッチできます。大学院の学費は非常に高いですし、二年間の間収入が無くなることに加え、日本に戻る場合、例えばMBA含め修士を取ったから給料が上がるということは難しいことなども考え合わせなくてはなりません。私費で行く場合には、自分がもともといた所に戻るのであれば、単に良い経験だったというだけではやはり費用に見合わない可能性が高いと思います。もちろん本当に良い経験であることに疑いはないのですけれど。なので、自分がどういうキャリアを目指すか、何がしたいかを、留学の決断に際しては深く考えることになると思います。その中で、どんな大学院を目指すかは自ずと決まってくるはずです。もしそれが国際機関やNGO、パブリックセクター、あるいは民間であっても開発に関わる仕事であれば、SAISは非常に良い選択だと思います。

SAIS Japan ClubのHappy Hourが毎年一度開催される。

2015/12/08

Hiro

HiroさんはSAISのライシャワー東アジア研究所で客員研究員として勤務しています。日本企業において長くキャリアを積んできた他、米国の経営大学院での留学経験があります。シニアな視点から見たSAISにおける学びについてお話を伺いました。

研究室にて。

SAISという学校はどのように目に映っていますか?

SAISという学校は独特なんです。決定的にロケーションが違います。学者を養成する大学院ではありません。SAISは理論を学んで議論をするだけではなく、理論と現実社会の間を埋めてゆく大学院なんです。セミナーなどでいろいろな人、学者だけではなく一線級の実務家を呼んで、現実を議論するんです。理論として学んだものを国際的な課題の解決に取り組みたいという学生にとって、DCで学ぶということは特別です。学問と実践を繋ぐ、そうした構造はむしろビジネススクールに近いと言っても良いと思います。繰り返しますが、ただ本を読んで学ぶだけではなく、政府、国際機関の、今、国際関係が動いているコミュニティの真っただ中に位置するという独自性は、これはものすごく大きいのだと思います。

SAISで学べること、学ぶべきことは何なのでしょうか。

座学で学べる内容自体はすぐに陳腐化してしまうんです。国際政治の理論なんて数年で新しい現実を説明出来なくなります。理論はバックワード・ルッキングなんです。我々はフォワード・ルッキングな思考で現実と対峙しなければなりません。だから、学問をする中身自体には意味が無いんです。SAISの特色である、先ほど述べましたがロケーション、DCは米国の首都というだけではなく、世界の政治の中心なんです。そこに勉強しにくる各国の学生たちと交わることは非常に価値あることなんです。例えば台湾の外交官がいる、インド政府の役人がいる、そんな各国を代表する人々と交わることができる、これはワシントンならではです。彼らはそれぞれの政府が意図を持って送り出す学生です。大きなコストをかけてもワシントンで学ばせたい、そんな選りすぐりが来ています。実はみんな悩んでるんです。日本だけが悩んでいるわけではありません。各国の学生の持つ悩み、政府の持つ悩みは日本人や日本政府のそれとはまた違うんです。そんな核心部分に触れることが出来ます。それで、本当に他者を理解することができるんです。

SAISに来た学生にどのようなことを期待しますか?

繰り返しますが、極論すれば学ぶ内容自体に価値はないんです。むしろ仲間とのコミュニケーション、志を持つ同級生たちとネットワーキングをしっかりと行って欲しいと思います。ネットワーキングというのは薄っぺらいものではなく、お互いを本当に理解する、そんな関係を作って行って下さい。同年代の仲間たちと、国際色豊かな環境で、いろいろな想いを持つ人と交わることができます。CSIS、Brookingsといった、世界をリードするシンクタンクへのアクセスも容易です。学生でもシニアな実務者などの講演を聴き、知り合うことすら出来ます。皆さんが目指すキャリアにおいて成功している人たちと話しに行けるんです。これは世界でキャリアを築いてゆく中で、本当に重要です。大学院で、勉強だけではなく、こんなプラクティカルな活動を若いうちに経験し、体得して、ぜひ今後に活かして欲しいと思います。

過去にも米国に滞在したことがあるんですが、SAISに来る日本人が減っています。これは、ワシントンにおける日本の地位が落ちて来ていることを示しています。例えば貿易摩擦が喧伝されていた頃は、今の中国が占めているポジションに日本があったんです。アメリカも日本人を呼び込んで、我々から学びたがっていました。日本も、貿易摩擦を解決しなければいけない、そのためにはワシントンへ人を送って、何が出来るのか見つけなければいけない。そんなことを背景に、多くの日本人が渡米して、ワシントンで学びました。今、日本人はどれほどワシントンの重要性を認識しているんでしょうか。翻って、ワシントンの人々は日本の重要性もについてどう考えているんでしょうか。これは日本が真剣に考えないといけない、大きな課題です。本当の政治のゲームが起きているのはワシントンなんです。若い皆さん、本当に国際政治を学びたければワシントンに来て下さい。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

日本を飛び出して、日本社会の中で生きてゆく緩さから、120%自己主張と説明責任を伴う外の世界に来て下さい。日本の良さを再認識すると同時に、海外で活躍することの意義を感じて欲しいと思います。どこの大学院でもいいです。日本の中で実力を発揮できることと、海外で揉まれてついた実力というのは全く違います。日本のやり方はでは、よく不言実行が賞賛されますが、これは世界では通用しません。世界では有言実行です。価値観が違うんです。それをわかっていないと、交渉では負けます。自分が何が出来るかを示し、成果を出し、貢献するのが決定的に重要です。国際交渉で、その交渉の中で実力を発揮するのに必要なことは日本では学べません。それを実際に外の世界に出て学んで下さい。

語学力の優先度は低いと思います。むしろ、わかってもらう努力が重要なんです。説得力とでも言いましょうか。理解してもらおうとする努力は伝わるんです。本当の交渉能力は相手との信頼を築けるか、ということに尽きます。人間性、話していて面白いか、そんなことが重要です。そうしたことは場数を踏み、経験することで出来て来ます。英語力は最低限あれば良いと思います。日本人の多くは国際折衝能力において欠けるところがあります。それは英語の上手下手ではなく、多様な考え方を受容することで、相手を説得する、そういう努力が必要です。外交官、国際関係でキャリアを考える人にはワシントンに来て、これを体得して行って下さい。
ライシャワー研究所のあるSAISのRome棟(左手)を眺める。

Erina

Erinaさんは2016年に修士課程を終える予定の在校生です。総合商社にて資源ビジネスに従事した後、SAISへ留学しました。

クラスメイトたちと。

簡単に経歴を教えて下さい。留学のきっかけは?

イギリスで生まれた後、高校まで日本、インドネシアとシンガポールで育ちました。インドネシアにいたのは1996年から1998年で、政変に立ち会うことになりました。加えて、貧困の蔓延を間近に見てきたこともあり、自然と開発に関わる勉強、仕事がしたいと思うようになりました。大学では政治学科に入り、一般的な政治の勉強をしました。在学中にUCLAに交換留学で一年間滞在し、国際開発を初めて学ぶ機会を得ました。大学卒業後、留学するか仕事をするか迷い、社会人経験を選びました。開発に関わる仕事ということで、商社を選びました。直接途上国と関わる仕事が出来ると思ったんです。商社では非鉄金属のトレーディングと投資を主に担当しました。その間、インドのデリーに4ヶ月ほど派遣されたことがあり、ニッケルのマーケティングに携わりました。製鉄会社を訪ねたり、トレーダーに話を聞いたりしながら、需給調査を進めました。そんな時に、あるアルミニウムに関わる投資案件で、先輩と話をする機会がありました。西アフリカのギニアに関してだったのですが、埋蔵量も多いし、品質が高い国であるにもかかわらず、鉱業法が毎年変わったり、頻繁に税制の変更があります。そうすると、投資側はキャッシュフローも引けないということで、投資をあきらめたことがあったそうなんです。途上国、特に資源国の開発に携わりたかったのですが、ガバナンスに問題があったり、政治リスクがあったりする場合に投資を通じたアプローチは出来ない、そんな限界を感じたことで留学を決意しました。一旦外で勉強して、そうしたガバナンスなどの問題に直に関わってゆきたいと思っています。

これまでのところのSAISの印象を教えて下さい。

みんな頭が良いと素直に思います。Creativeな意見が多く、柔軟な考え方が出来る人たちが集まっています。それに、イベントが毎日あって、いろんな人が訪れる。国際関係や経済に少しでも関わりがあれば、何でもイベントになります。そうしたことを通して、今まで知らなかった分野を開拓できるんです。これはSAISという学校だけにとどまらず、街全体がそうした機会の宝庫ですね。日本でメディアなどを中心とした限られた情報源とは違います。そういえば、アメリカ人って英語しか話さないイメージもありますが、SAISに英語しか喋れないアメリカ人はほとんどいません。それぞれ地域のフォーカスがあったりして、いろんな言葉を喋れる人が多いんです。

UCLAでは学部生として国際開発を学びました。日本の大学は緩いところがあると感じていたのに対し、UCLAに行って、始めて自分が真剣に考えていたトピックが議論されていると感じました。ダルフールの虐殺に対して声をあげているグループがあったり、LGBTに関して声を上げるグループがあったり。ユダヤ系グループとパレスチナ関係のグループが目の前で対立しているなんてことも目の前で起きていました。そんな環境で、国際関係を身近に感じましたね。世界の縮図を見た、とでも言えるかも知れません。日本の新聞を眺めていても分からないことを、肌感覚で理解出来るんです。SAISもそうした環境だと思います。しかし学部と違い、大学院ではフォーカスを定めないと意味が無いと思います。学部の頃はより一般的な、入門的な内容でも満足出来ていました。しかし大学院を卒業したときに「私はこれをしました」と、よりフォーカスを絞って、自信を持って言えなければいけないと思います。マイクロファイナンスについてやりました、腐敗と民主主義をじっくり学びました、というような「これ」と自分を打ち出してゆけるものを見つけたい、そんなことを思いながら学んでいます。

SAISにもキャリアサービスというのがあります。日本の大学で言うと就職課ですね。彼らは、うまく使えばいろいろと教えてくれるし、Employer Sessionもあるんですが、それは入り口でしかないんです。それ以上は、常に自分次第。SAISに行けば自動的にキャリアが開ける、なんていうことはありません。現在、UNDPでインターンをしています。これは公募すらなかったのですが、自分から連絡してみると、選考してくれました。自分でどんどん動いて行かないといけませんね。そういう意味で、日本とは違います。メールして、コーヒーして、フォローアップ。使えるものは全て使って行きます。教授陣もリソースの一つです。彼らから人を紹介してもらったり。

IDEVについて教えて下さい。

同級生のバックグラウンドが様々です。今のルームメイトもIDEVなんですが、マレーシアで英語を教えたり、カンボジアで女性の社会進出を助ける仕事をしていました。他にも、米国版の青年海外協力隊でコートジボワールに派遣されていた人、PKOでタンザニアの武装解除に関わった人、投資銀行にいた人。公的セクターからから民間まで、本当に色んな人がいます。

IDEVでは開発という大枠の中でそれぞれが違うフォーカスを求めます。紛争地域におけるその後の開発、Financial Inclusion、マクロなガバナンス、Mobile Payment、教育。ものすごく幅広いんです、開発って。その開発のいろいろな側面から自分で絞って選び、それにフォーカスしてゆきます。だから、IDEVの授業のリストはとても長いんです。

2年目の冬休みはプラクティカムという、実際のプロジェクトから学ぶプログラムに参加します。International Water Management Institutionという水関連のクライアントと働きます。場所はスリランカで、水資源に関するローカル行政を扱います。Tragedy of Commonsというテーマですね。水資源ををどうやって効率的に管理してゆくのかが課題です。ステークホルダーの分析をもとにして、提言を作ります。ジェンダーというのは非常に重要な要素として認識されるので、女性や貧困層をいかに参加させてゆくのか、これもしっかり見てゆきます。スリランカというのは長く紛争が続いてきた国です。それがどうローカル行政に影響を残しているのかというのも興味深いですね。IDEVのプラクティカムの目的は途上国にいって実際の経験を積むこと。IDEVとクライアントから資金が出ています。他にもチームがあり、スリランカ、インド、ケニア、ナイジェリア、エジプトで、インドには2チームが派遣されるので合計6チームですね。4−5人で1チームなので、30人近くがプラクティカムに参加します。Literature Reviewから実践まで、全てやります。方法論を議論して、統計的な裏付けを確認し、調査のデザインを効率化する、これって実際に開発の現場で調査をするのと同じことで、それを学生のうちに経験ができるんです。

そういえば、IDEVでは夏休みの間に、途上国で無給インターンをする場合の補助が充実しています。他のプログラムでも同様の補助はある場合もあるのですが、IDEVは一番手厚いと思います。私はケニアでインターンをしていました。例えばアフリカの低所得国に日本から行くのは大変なので、こうした機会に現地に行って経験を積むのは意義のあることだと思います。

IDEVは1クラス20人ちょっとがDCのキャンパスで始め、1学期目にIntroduction to Developmentという授業を皆で一緒に取ります。けっこう負担も大きくて、そのなかでグループが結束してゆくというのもあります。それと、IDEVは必ず学期前にミクロ経済学を終えていなければなりません。Pre Termで取る人が多いと思いますが、そこでも仲良くなります。失敗するとIDEVに入れない緊張感というのも共有しながら。

そういえば、出願するときにSAISの経済重視の部分って少し不安だったんです。政治学をやっていて、マクロミクロくらいしか勉強したことがなかったからです。でも、来てみると心配するほどでもないです。Applied Econometricsなど、より高度なものをやる人もいるけれど、MAを終えるために必ず取らなければならない経済学に関しては、大丈夫です。どこまでやるかは自分で考えて選べます。私は毎学期、二つ経済、二つ非経済のバランスで科目を取っています。英語についてはそこまで問題はないのですが、ただ、書くという作業はとても大変で、非経済科目を取りすぎると過大な負担になりかねません。

卒業後のキャリアはどんな風に考えていますか?

悩んでいます。国際機関で政府を対象にしたキャパシティビルディングに取り組んでインパクトを生み出してゆくのか、一方で、そこに行く前に途上国経験を積むべきなのか。自分が何をしたいのかを考えた時に、いずれは資源に関する行政、税制などに関わってゆきたいのですが、まだ専門性が足りないと感じています。それに、もっと大きな問題、例えば腐敗、財政といった問題があれば、その一部分を改善したところで本当に現実が変わるのか、そうすると、どこにアプローチをしてゆくべきなのか…そんなことを悩んでいます。国際機関を知ってゆくとその限界も発見することになるんだろうとも思っています。でもやはりガバナンス支援でUNDPで働いてみたいなという気持ちはあります。可能であれば西アフリカ諸国のカントリーオフィスに興味があるのでフランス語もSAISで勉強中です。UNDPは当事者をまとめる能力があり、現地に根付いているという印象があります。世銀のExtractive Industryや、Resource Managementのセクターにも興味があります。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

私は留学して良かったと思います。最初はとても不安でした。社会人をやっている間はアカデミックな場から離れていましたから。平日と週末がある感覚から、週末こそ勉強しなければというスケジュールへの転換は大きいと思います。また、ここでは、いろんなトピックに触れることができます。経済から腐敗、Research Methodのデザイン、そうした開発の様々な課題を日常的に見たり聞いたり読んだり、議論したりします。例えば、以前はセミナーに参加しても質問が思い浮かばなかったけれど、今はどんな話題に関しても、Relevantな質問が浮かんで来るようになりました。これは日本で目にした情報、勉強からは得られないものだったと思います。学生、教授との何気ない会話の中でも、いろんな開発のトピックについての知見を深めることも出来るんです。会社を辞めて来るからには何かしら得なくては、という覚悟もあり、またこれまでのSAISでの生活で、大きなものを得て来ていると感じます。本当に来て良かったと思います。私の受験は11月に準備を始めて、1月に出願という強行スケジュールでした。皆さんは計画的に進めて下さい。でも、思い立って行動しても、何とかなります。
Dupont CircleはSAISから歩いて5分、地下鉄駅もあり、多くの人が行き交います。


2015/12/07

Ichi

Ichiさんは2015年12月に修士課程を終える在校生です。コンサルティング会社に勤務した後、災害対応を行うNGOで活動、INSEADとSAISでMBAとMAを取得するDual Degreeに取り組んでいます。

ボローニャにてクラスメイトと

簡単に経歴を教えて下さい。

日本の大学で法律を学んだ後、経営コンサルティング会社に勤務し、東北大震災の後に災害対応を行うNGOに参画、その後、フランスとシンガポールにキャンパスのあるINSEADへ留学しました。INSEAD在学中にSAISへ出願し、Dual Degreeプログラム生としてSAISへ来ました。イタリア・ボローニャキャンパスで1学期(半年)とワシントンDCキャンパスで2学期(1年)を過ごして2015年末に卒業予定です。

Dual Degreeにしたのはどうしてですか?

MBAで学ぶことは幅広いビジネスの知識、例えば経営戦略や会計、マーケティング等に関わる内容が主ですが、新興国の経済やビジネス、開発といったテーマを政策面も含めてもう少しフォーカスして勉強してみたいと思うようになりました。それもあって、ビジネススクールに在学中にSAISに出願しました。災害支援には関心があり、東日本大震災、そしてフィリピンの台風や今年のネパールの地震などでは現地で支援活動に従事してきました。人道支援や災害救援も視野に入れつつ、政策や経済について学ぶためSAISに来ました。そういう意味ではINSEADの学びを補完するテーマをSAISで学びたいと思っていました。一方で、過去の卒業生から「Dual Degreeをすると可能性は広がるけれど、それだけにより迷うことになるかも知れない」と言われたことは本当で、それはDual Degreeを始めてから目の当たりにして悩みましたね。

SAISの印象を教えて下さい。経営大学院とはどう違いますか。

ビジネススクールでは多様性のある組織の中で効果的に働き、いかにチームを率いてゆくのかという実践的な訓練を、繰り返しケースディスカッションやグループワークを通して身体に憶えさせるようなところがあります。一方でSAISはよりアカデミックな雰囲気で、論文を読んだり書いたり、より知的な探求ができる場所だと思います。過去に国際関係も経済学も学んだことがなかったのですが、例えば国際関係の理論に関するフレームワークを体系的に学ぶのは初めてで、これは現実の国際社会で起こっている複雑なものごとを理解、分析する中で役に立つように思います。この二つの異なる学びの場を経験出来たというのは価値があったと思います。それとシンクタンクや政策実務者から生の声を聞けるということは、やはりINSEADを含めて経営大学院ではなかなか無いものです。SAISと経営大学院の親和性ということで言うと、SAISは経済、金融を通じたアプローチを各分野、例えば開発学に応用、実践してゆくようなところがあるので、経済の根幹であるビジネスとはやはり切り離せないと思います。また、SAISほどではありませんが、INSEADにも開発や国際協力などの方面に興味のある学生がそれなりにいます。あと、SAISはINSEADと比べると、アメリカの学校だな、というのは感じます。SAISはアメリカの大学の中ではトップクラスの国際性ですが、それでもボローニャキャンパスですらアメリカ人が多く、INSEADのほうが国際性はより豊かだったと思います。先生との距離はINSEADの方が近かったですね。文化の違いによるものかも知れませんが。

今後のキャリアはどんな風に考えていますか?

悩んでいるところですが、ビジネスのアプローチを活かしながら社会的なミッションに取り組んでゆきたいと思っています。今までの経験は医療・ヘルスケア、災害支援分野だったので、やはりそれらの関連する分野でやってゆきたいと思っています。例えば日本の知見、技術をアジアを始め世界で活かすような仕事がしたいですね。NGOで経験したのは、何かことが起こったときにはお金が集まるんです。でも波が終わると下火になることもあり、いかに事業を継続性のあるものにしてゆくのか、そうした課題は非常に重要だと感じました。ビジネススクールで学んだことも、SAISで学んだことも明日、直接的に役立つわけではないのですが、これから国際的な環境の中で仕事をすることに関して自信がつき、長期的に役立つだろうと確信しています。SAISではより大局的に社会的な必要性について俯瞰する視点を得たので、何に取り組むべきか、何を解決したいのか、そうしたことを考える上では貴重な経験が出来たと思います。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

この2年半の間に4ヶ国で学び、様々な国から来た多様なバックグラウンドを持つ同級生たちと一緒に学べたことは楽しく貴重な経験でした。普通の修士の2年間に半年足すだけでこれだけ多くのことを楽しめたのはお買い得な感じがします。Dual Degreeにしたことで就職の幅は確実に広がって、その中から自信を持って自分のやりたいことを選び取ってゆくことができるし、逆に言えば選んでゆく必要があります。また、どんな組織にあっても、国際的な環境でよりスムーズに活躍する大きな自信がつきました。SAISとINSEADのDual Degreeプログラムは始まってから日が浅いですが、このプログラムをする人もかなり増えて来ています。公的な分野と民間の交わりというのは関心の高まって来ているところですよね。これはだんだんと両者の境目が曖昧になって来つつあり、そうした中間のところがより重要な意味を持ちつつあるということなんでしょう。Dual Degreeはそうしたアプローチを実現したい人の助けになるんだろうと思います。選択肢が増えるだけ悩みも増えるかもしれませんが、パブリックとビジネス、両方の分野に関心を持つ方にDual Degreeをお勧めします。


2015/11/23

Kenji

Kenjiさんは2014年に修士課程を終えた卒業生です。約6年半の政府勤務の後、公費派遣でSAISへ留学しました。1年目をボローニャで、2年目をDCで過ごしました。現在はまた政府で働いています。SAISでの専攻はエネルギー、資源、環境学(ERE)でした。
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恒例のIAEA Ballの前に、ウィーン市長のレセプションにて、日本人の同期と。右がKenji。

簡単に経歴を教えて下さい。

もともと環境に興味がありました。京都に住んでいて、京都議定書の話題なども身近に感じられ、将来は政治家か公務員になろうと思っていました。一橋大学の社会学部に入ったのですが行政法ゼミに参加して、専門は行政法みたいになりました。環境と開発の両立を政策面で進めようと国土交通省に入って6年働いて、その間に河川行政、経済政策などを担当しました。外務省に出向し、南太平洋における経済協力の一環で環境問題を扱ったこともありました。温暖化対策など、太陽光パネルの設置を経済協力で行ったりしましたね。

留学のきっかけは?

中学生の頃、イギリスに短期間いたことがあったり、外務省への出向があったり、その中で海外に行きたいという想いが強くなって来たところでした。政府なので留学制度があり、だったら行こうじゃないか、と。周りは公共政策大学院に留学する向きが多いものの、SAISは大枠では政策系に分類されます。他の政策大学院はよりドメスティックな視点で政策を学ぶのに対して、SAISはどちらかというと国際関係の中で政策を議論してゆきます。日本から留学するとすると、公共政策ではアジアとの政策協力などの視点も重要なので、国際系がいいな、と。SAISで作るネットワークも、そうした視点をシェアする人々が多いので、自然と国際的になります。それも魅力でしたね。

SAISの印象を教えて下さい。

プロフェッショナルな学校という印象ですね。教授、生徒ともに。アカデミックというより実務的なスキルにフォーカスしています。例えばGlobal Eletricity Marketの授業ではエネルギーのポートフォリオに関するポリシーペーパーを書いたし、EREの官民連携(PPP)の授業では環境問題に対応するためにどう民間の力を活かしてゆくか、という観点で実際にファイナンスモデルを構築してプレゼンをしたりしました。周りの学生はエネルギー会社出身、国際機関やNGOで環境に取り組んで来た人、など面白いバックグラウンドの人がいましたね。卒業後は、例えばコンサルや世銀なんかで、またエネルギーや資源関係の仕事に就く人が多い印象です。

ボローニャの印象はどうでしたか。DCと比べてどう違うのでしょうか。

ヨーロッパの雰囲気は全然違います。教授陣、生徒もヨーロッパ系が多いんです。ボローニャだけのプログラムでMAIAなどの学生も一緒にいるんですが、彼らを含めるとやはりヨーロッパ人が多くなります。いろいろなところでヨーロッパの視点を感じましたね。欧州は難民問題や、ロシア関係から直接影響を受けます。ドイツのエネルギー転換にも熱い注目が注がれていました。ロシアの天然ガス供給への依存も重要な論点として議論されましたね。これは授業だけではなくて、その他の機会に関してもです。ボローニャ大学の授業も取れて、同級生はビジネススクールの授業に潜り込んでいました。現地の学生と一緒にパーティをしたりなんてのも。クラスメイトの一人はボローニャ大学のオーケストラに参加していました。

それと、何といってもヨーロッパにいると旅行が出来るんです。ボローニャ空港も近く、そこからどこへでも行けますよ。欧州で開催されるイベントにも参加し易いです。毎年ウィーンでIAEA主催のボウルにSAIS全員で行くのも恒例になっています。バスを何台か仕立てて、ウィーナーワルツを踊りに。食べ物も美味しい。勉強で小腹が空いたらピザをサッと買いに行って、食べて図書館に戻る、とか幸せでした。ヨーロッパの国際機関でインターンする人も多かったですね。人権、環境分野ならヨーロッパも有りだと思います。ウィーンにも幾つかありますしね。

ボローニャ・センターはDCに比べると学生の数が少ない分、授業の数は少ないかも知れませんね。私は1年目に必修科目を詰め込んで、2年目で選択科目でDCの選択科目をたくさん取るようにしました。ボローニャはビッディングがあまりないので、2年目にポイントを温存して、DCで好きな授業を取りやすいかも知れません。外部のスピーカーを招くセミナーにヨーロッパの著名人が来たりするのもボローニャならでは。そういえば、経済の教授はイタリアのレンツィ首相のアドバイザーになりましたが、忙しい中でもSAISの授業を引き続き持ってくれています。ボローニャ・センターはコミュニティが小さく、外に行くとイタリア語しか通じないので、結束力が強いことは間違いありません。DCでチャオなんて挨拶している人はみんなボローニャ出身者ですよ。

卒業後のキャリアにSAISの経験はどう活かせるでしょうか?

語学、それと外国人と折衝するスキル、SAISを通じて得られる人的ネットワークは非常に価値あるものです。今も対外関係の仕事をすることがあります。少し前に、香港に出張がありました。不動産投資に関する監督、規制、制度設計といった内容を海外の投資家に対して説明し、彼らからの声を聞くんです。来月はシンガポールの政府関係者がやってきて、また話をしたりします。そういうところで、やはりSAISの2年間は役立っているな、と思います。ちなみに香港ではSAISの同期がCitibankで働いていて、コーヒーを飲みながら意見交換しました。ネットワークということで言えば、SAIS在学中に話を聞きに行った人、例えばミャンマーについて書いているときにミャンマー大使館の人に話に行きました。同級生や教授だけではなく、そうしたところから出来るネットワークは日本にいては作れませんよね。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

SAISに行けば幅は広がります。仕事も、キャリアも、ネットワークも。これはぜひ経験して欲しいですね。SAISのボローニャ・プログラムは、一粒でDCとボローニャ二度美味しい。これはやらないと。DCで仕事を探す人にはハンディキャップが出来るかも知れませんが、でもそれを補って余りある経験ですよ。
Portico.jpeg
ボローニャの街には800年前からずっと残されているポルティコ(アーケード)が張り巡らされています。

2015/11/18

Q&A

SAISの合格者から過去に頂いた質問をご紹介します。

Dual Concentrationって本当にできるの?

できます。公式サイトの記載がないのは不親切ですが、二つのConcentrationを持つことは基本的にできます。二つのConcentrationにはPrimary/Secondaryと順序をつけることを要求され、履修登録などで特定のConcentrationの学生が優先して履修できる場合がありますが、それに関してはPrimary Concentrationのみが考慮されます。

また、地域専攻の場合、Concentrationごとに特定の語学の履修が求められる場合があります。例えばChina studiesなら中国語、African studiesならフランス語といった形です。場合によってはDual Concentratorは二つの語学において修了要件を満たす必要があり、初習で二つの語学を履修するのは難易度が高いことに加え、最悪の場合、二つの語学の授業の間にスケジュールの競合が起こることがあります。

Dual Degreeは公式に認められている以外にできるの?

できます。例えば、最近ではデュークMBAとのDual Degreeの学生がいます。MAの修了要件は16科目の履修ですが、MBAや関連する分野のMAを持っていれば、それが12科目まで減ります(場合によって14科目になることも)。Dual Degreeで同時に学位を取得する場合もこれに準ずる扱いになります。例えば、Corporate Financeなどの授業はSAISでも開講されているのですが、MBAで同等の科目を履修した場合には、それがSAISで受講したのと同様に扱われます。

過去に関連する学位を取得した学生では、台湾国立大学でMBAを取得した学生、香港大学で経済学MAを取得した学生が同等のプログラムによって履修要件を16科目から減じる措置を受けています。

自分のConcentration以外の授業は取れるの?

取れます。経済学の履修要件5科目(class of 2015)に加え、各Concentrationで4-6科目の履修が必要です。残りを自分の興味に合わせて選択することができます。また、単位取得のための履修ではなくAuditの形で授業に参加することで、さらに受講科目は増やすことができます。

Dual Degreeなどの場合は履修科目が12科目になり、少し選択科目の余地が減ります。また、Dual Cocentrationの場合も修了要件が厳しく、選択科目に割り振る時間は相対的に少なくなります。

学期中にインターンがしたいのだけど

できます。週に4科目を履修することが一般的で、語学との兼ね合いもありますが、金曜日が休みになってそれをインターンにあてることが多いようです。必ずしも有給ではないようです。夏休みのインターンがDCなら、2年生がそれを学期中も継続することがあるようです。また、2年生の方が時間に余裕ができて、インターンに割ける時間も多い、ということもあるかも知れません。

ルームメイトが1年生の秋からWilson CenterでのインターンやBrookingsのリサーチ・アシスタントをやっていましたが、アゼリ語スキルを活用した東欧関連の業務や、インドの内閣府で働いていた学生がインド研究の補助をするといったように、バックグラウンドと内容がフィットしたものでした。2年生はより自分の卒業後の進路に関わるインターンをすることが多くなると思います。

SAISの経済学は学部レベルって本当?

確かに必修のミクロ経済学、マクロ経済学は学部レベルではないかと思います。という意味では修了要件の経済学5科目(class of 2015)を学部レベルかそれに毛が生えたレベルで満たしてしまうことは可能です。

一方で、ミクロ、マクロ、トレード、マネタリーと統計はWaiveすることができます(条件あり)。個人的には、高い学費を払っているのだから、基礎科目はさっさとWaiveしてしまい、さらにその先のクラスを出来るだけ取ってゆくべきだと思います。経済学を学んで来ていない学生もあるために、学生の平均的な経済学の素養レベルは低いように感じますが、一定以上のレベルの経済学の授業を受講する学生となると、しっかりと勉強したいという学生が集まります。計量経済学はかなり充実しているという評判です。

香港で経済学のMAを取って来た学生からコメントをもらいました。
Before SAIS, I had already obtained a two-year research master's degree in Economics in Hong Kong, so my concern was whether the Economics courses would be advanced enough at SAIS so that I would not be wasting time. After almost a year studying at SAIS, I can be almost certain to say the Economics courses here are a good complement to what I learned from my previous master's degree.  When I was studying in Hong Kong, the economics courses were a lot more mathematics-focus (such as real analysis, topology) and involved rigorous proof of every theorem that we learned. Here at SAIS, a lot of the economics courses are more practical -- they emphasize the use of theorem to tackle real policy problems, and they are a blend of Economics and Finance so that we can make a more holistic and practical policy decisions (something that my research master's missed out because they expected students to continue to do PhD and stay in the academia world.)  
In terms of the level of the Economics courses here, I would say, they range from upper undergrad level (such as intermediate microeconomics) to master's level (such as Applied Econometrics;) for some particular courses, such as Microeconomics of Development, they say they are at doctorate's level. The bottom line is, there are many economics classes to choose from here at SAIS, so you can just choose whichever you feel fits you the most, in terms of the course content, level of difficulty and your personal interests.

SAISは米国人ばかりで友達を作りにくいって聞いたけど。

それはないんじゃないですかね…友達を作らなくても修了はできますが、作った方が楽しいですよ。ルームメイトがいると、人脈にレバレッジがかかります。

料理が多少できると、たまに学生を集めてディナーを開き、「こいつと一緒にいれば旨いものが食える」というブランディングが可能だったりします。

日本人はどのくらいいるの?

2年制の修士課程の学生はDC・ボローニャ合わせてClass of 2014は6名、2015は3名、2016年は8名で、MIEFのClass of 2015は2名で2016はゼロ。MIPPは各年1人いるかいないかです。

日本人同士は仲良し?

仲良しですが、つるむことはありません。Japan Clubの活動(日本文化の紹介や、日本語の練習機会の提供)や、就職活動での協力(国際機関における日本人人脈の共有)などが共同する主な機会です。ただ、Concentrationがバラバラで授業もほとんどかぶらず、一緒にいる時間は他の留学生グループよりは少ない印象です。

でも毎年忘年会をしているし、仲良しですよ。



講義形式の講座が多く、英語が上達しない?

特に経済学の授業は講義形式が多いと思います。各Concentrationの授業は場合によりけりです。授業で議論する機会はビジネススクールの方が多いかも知れませんね。

秋学期に東南アジアの民主化に関する授業を取ったのですが、各国の政府から派遣された学生や、当地でNPOなどで働いていた学生が参加し、議論が面白かったなぁ。

バイサイド金融に行きたいんだけど?

ビジネススクールの方が近道だと思います。SAISから金融セクターというと、NY連銀、世界銀行や国際金融公社、各地域の開発銀行というのがまず浮かびます。銀行や証券も進路としてないわけではありませんが、学生の主たる関心の対象ではないと思います。

外国人の彼氏/彼女はできますか?

できるんじゃないですか、頑張れば。でもSAISは小さなコミュニティなので気をつけて下さいね。



Nanfei

Nanfeiさんは2016年12月に修士課程を終える在校生です。日本への交換留学の経験の他、東京の民間金融機関で2年間働いたことがあります。南京センターで学んだ後にDCのキャンパスに移って来ました。

上海にて

簡単に経歴を教えて下さい。

幼い頃に家族とともに中国からアメリカへ移住してきました。子供の頃から日本の漫画やアニメは好きで、小学校高学年の頃からでしょうか、もっとよく日本のことが知りたい、言葉も学びたいと思うようになりました。親は「何で先祖をたくさん殺してきた国のことを...」なんて大反対でしたけどね。ちょっと自分で勉強したりもしたんですが、その後、日本語クラスがあるという高校があったので、受験して入りました。でもあろうことか、日本語クラスが開講されませんでした。大学で宇宙物理学を学んだのですが、日本語のダブルメジャーにすることで、そこでやっとちゃんと学ぶ機会を得ました。夏休みに早稲田へ短期留学し、その後、慶應へ交換留学しました。そうした経験から、日本で働きたいと思うようになりました。そのとき、振り返って、何でこんなに日本語を勉強するのにハードルがあって、回り道をしなければならなかったのだろうと考えたときに、きっと根本的な問題は日中関係にあるんじゃないか、と思うようになりました。よし、それではそれを直すために外交官になろうと思って、Googleで検索するとSAISが出てきました。南京のキャンパスもあって、そこで中国語を磨き直せそうだったのも長所に見えました。同時に、日本のいくつかの金融機関からもオファーをもらっていて、今SAISで始めるべきか、一度働くべきか悩み、結局日本で、投資銀行のソフトウェアエンジニアとして2年間働いてからSAISに来ました。日本での2年間、学ぶことはとても多かったと思いますよ。

なぜ南京センターに?

中国のことをもっと知ろうと考えたときに、やはり中国で、中国語で学びたいと思いました。南京は日本と中国の特に負の部分を受け止めてきた街です。にも関わらず、今でもちゃんと日本人が住んでいるんです。そうした日本の人たちと関わりを持って、彼らがどんな想いで南京に暮らしているのかを知ることが出来たのも大きな収穫でした。驚いたことに、南京の人々の日本人コミュニティに対する敵意は非常に限られたものでした。他の都市に比べてもそうだったと思います。皆、現実がわかっていて、「あなたが我々を殺したんじゃないんだから、恨んでもしょうがないじゃない」というような態度を感じました。あと、おかげで、中国語も思い出しましたよ。

南京センターの印象は?

非常に小さい建物で、冷暖房が完備され、食事は安い。そんなところなので、みんなずっと一緒にいて、お互いによく知っている、そんなコミュニティが形作られていました。教授たちも一緒に住んでいて、お昼ご飯も、飲み会も一緒で、一緒に現地の飲み屋さんに行ったりもしました。南京センターで学ぶ学生の比率は中国人100人に対して留学生100人くらいが標準なのですが、国際政治環境にも左右されますね。アメリカ人が多い年もあれば、今年は20カ国近くから留学生が来たと聞いています。日本人の学生は2年に1人くらいの割合でいるでしょうか。

南京センターで学ぶためには中国語が必須ですよね。

そうです。STAMPテストというのがあります。それを受ける必要がありました。授業は英語と中国語で行われるので、その両方を知らなければなりません。非英語圏の留学生は必然的にトライリンガルでなければならないので、そういう意味でハードルは高くなってしまうかも知れませんね。ほとんどの学生が入学前に既に中国での経験がありました。ただ、必要なのは日常で使われる中国語です。専門的な語彙、例えば「イスラム原理主義」という言葉の中国語の語彙なんて誰も知らずに来ており、そういうのは授業の中で実につけてゆけば良いので。中国語を語学として教える授業はありませんが、南京センターで学んで、中国語の力はものすごくつくと思います。

南京センターとDCの中国学プログラムの違いは何でしょう。

幾つかの授業は共通だと思います。特に基本的なクラス、例えば「中国の外交」「中国とそのアジアにおける役割」といったのは両方のキャンパスで開講されています。中身は全く同じではないのですが。南京センターでは授業や読む論文など全て中国語で、中国人の学者が中国をいかに論じるかを知ることになります。DCで英語で書かれたものを読んで英語で議論するのとは大きく違いますよね。実は経済学のクラスも南京で開講されていたりするんですよ、私は取ってませんけどね。授業は経済学、歴史学、政治学、国際法学といった分野に分かれています。中国以外の地域の要素も含まないわけではなく、例えば同級生の一人は「中国とヴェトナムの法体系の比較」なんていうのに興味を持って、教授と相談しながら学んでいましたね。

南京は歴史的な経緯もあって特別な場所です。そこで日本人が学ぶ意義は?

南京センターは日本人が日中関係を学ぶのに最も安全な場所だと思いますよ。以前、南京センターにはサッカーチームがあったんです。あるとき、日本人の選手がいて、現地のチームと親善試合か何かで相手にタックルをして、詳しい状況はわかりませんが揉め事になったことがあったそうです。そこには中国人の学生の日本人に対する反感もあったんだろうと思います。南京センター側もその辺りはわかっていて、ちゃんと仲裁して、収めたと聞いています。それ以来、サッカーチームはなくなっちゃいましたけどね。確かに中国人の学生の間に日本に対する反感があるのは感じ取れます。でも、日本の国や政治に対する思いとは裏腹に、みんな日本の文化が好きだし、食べ物が好きだし、日本に行きたいとも思っています。南京センターで日本語を教えていたことがあったんです。そこに来た学生のほとんどが中国人の学生でした。みんな、日本のことを知りたいと思っているんです。そういうところで、日本人の学生が自分の意見を言えば、みんな聞きたがるし、そこには変な反発はありませんよ。確か、日系アメリカ人の教授も1人いて、日中関係について研究していました。日中関係ってやはり大きなトピックの一つなんです。

南京と北京で学ぶ違いは何なのでしょう。

歴史的な経緯を紐解くと、南京大学のもとなった国立中央大学は国民党政府の首都にあって、その後も影響力は残ったんです。なので、北京政府はそれを6つに分割して、南京大学の持つ知的な役割を弱めようとしました。そんな名残もあって、現在でも南京大学は中国で最もリベラルで独立した大学なんです。北京はもちろん首都なので、いろいろな情報へのアクセスがありますが、同時に政治的に政府からの影響を受けやすいとも言えます。上海はもっとビジネス寄りです。そういう意味で、南京の教授たちは他の場所の教授がしり込みするようなことを言ったりできるんです。特に南京センターは特別ですよ。授業で使う資料がイントラネットにアップロードされるんですが、使った後は消去されます、政府に知られたくないようなことを議論するから。南京センターは中国の中で検閲から最も遠いところだと思いますよ。南京センターでは、例えば北京大学なんかでは外国からの留学生と正面切って議論することが憚られそうな、チベットや、少数民族のこと、社会問題や貧困なんかをしっかり議論できます。中国の中で、中国語で、中国の人々とこうしたことをざっくばらんに議論できるのは南京センターならではなんじゃないでしょうか。

夢はありますか?今後のキャリアはどんな風に考えていますか?

私の夢は、やはり日本と中国の間の架け橋を、その一部分でも築くことです。私の貢献がどんな大きさになるかは置いておいて、日中関係の深化に貢献したいです。どんな形で、というのはまだわかりません。若いうちに影響力のある偉い人を動かして何かできるかというとそれも難しいかも知れません。今、考えているのはテクノロジー分野から何かできないかということです。そうしたところから、何かしらの機運を作ることが出来ないか、そんなことを考えています。未来のリーダーたちにどのように影響を与えてゆけるか、どんなプラットフォームを作るべきか、そんなことを考えています。

SAISを目指す日本人、もしくは中国に留学を考えている日本人に何か一言お願いします。

簡単に二つ。まず、ぜひ中国に来て下さい。ホプキンス南京センターに限らず、南京大学ではたくさんの日本人留学生が学んでいます。南京はとても奇麗な街です。そして、日本と中国の関係を考える格好の場所だと思います。そこの学生たちも、日本人の声を欲しています。議論の中でも、日本のことがたくさん出て来ます。教授も日本について間違ったことを喋ることがあります。それを訂正するのは皆さんなんですよ。もう一つは、SAISって、例えばこれまで日本を出たことがない人にとって、素晴らしい場所だと思います。日本の外の世界はこんなものだったのか、こんな多様だったのか、と。多様で、面白い人がたくさんいます。どこから集めて来たのかわからないけれども。この間なんか、経済の授業で価格差別について教授が話していて、その具体例で、あるホテルチェーンが生年月日を使って価格を決めるキャンペーンをやったのを話していたんです。そうすると一人がすっと手をあげて、「私、そこで働いていて、あれでかなり損を出してました」なんて言うんです。こんなことがいつも起きる学校です。いろんなところで働いていた人が来るから、いろんな声が出て、いろんな経験が語られます。もし私が日本人で、留学を考えていたら、きっとSAISみたいな学校を選ぶんだろうなぁ、と思います。で、外の世界はこうだったんだなぁ、と。SAISが全ての縮図とは言いませんが、世界の一端をSAISを通して発見するというのは価値あることだと思います。

南京センターの有志はボランティアで英語を教える。写真は彼らのハロウィーンの一枚


Kenji

Kenjiさんは2015年に国際経済金融学修士課程(MIEF)を終えた卒業生です。約5年半の日本銀行勤務の後、会社派遣でSAISへ留学しました。現在は日本銀行に戻っています。

2014年10月の世銀・IMF年次総会にて

簡単に経歴を教えて下さい。

大学、大学院と経済学を学び、日本銀行に入行しました。日本銀行では、海外経済、金融市場のリサーチを行った後、日本経済の調査を行いました。2014-15年にSAISのMIEFで修士号を取得後、現在は中長期的な視点から、経済・ファイナンスのリサーチを行っています。

留学のきっかけは?

海外経済や金融市場の調査を行う中で、実体経済と金融市場の相互リンケージ、また国と国、地域と地域の間の関係性や、経済ショック、政策のスピルオーバー、コンテージョンなどについて学びたいと思ったのがきっかけです。また、留学を通じて英語力を伸ばすとともに、他の留学生や現地の国際機関の方とのネットワークを作っていきたいと考え、留学を志望しました。

SAIS、特にMIEFプログラムの印象を教えて下さい。

1年間ということもあって、非常にインテンシブです。Summer(7-8月)、Fall(9-12月)、Winter(1月)、Spring(2-4月)、Capstone(5-6月)と、11か月で14科目54Creditを取得する必要があり、正直結構忙しいというのが特徴です。このほかに最大2科目までMAの講義を選択で履修することが可能です。そういえば、Bodnar教授が”Sleep is optional in this program”という迷言を吐いていました。学部レベルの経済学の知識が、入学時点で求められるため、経済系・理系以外の学生は、事前にある程度この分野を勉強していないと、スタートダッシュで躓いてその後ズルズルいき、単位取得に苦労する、といったケースも見られます。

最大のメリットは、1年で経済/ファイナンスの学位が取れるという、米国の大学では数少ない特徴を有しているため、早く社会に出たいという、時間的・金銭的な制約が多い人、そしてSAISの中でも数字に強いといった印象を、あくまで第一印象としてですが、就活の面接官に持たせたいと考えている人には、魅力的かと思います。一方でトレードオフとして、在学中に就職活動やインターンをやりたくても、講義の合間に行わざるを得ないため、Spring Semesterは両立に苦労する人が多々見られました。

プログラムの人数が35人と少ないこともあって、全授業のうち半分くらいがクラス単位、あるいはクラスを半分に割る程度で行われるため、学生間の仲が良くなりやすく、規模的にも中高のクラスに近いイメージである半面、グループワークなどでひとたびひずみが生じてしまうと、その後のキャンパスライフにも影響が出てしまう(笑)といったことも起こるようです。

授業は、履修できるクラスの種類に大きな制約があります。必修8科目、選択必修3科目がメインで、自由選択科目は3科目のみです。が、一方で、MAプログラムのようなBidding制度はなく、基本的に希望した講義は必ず履修することができるというのがメリットです。レベルは、自分の経験から言うと、大学の学部レベルと、大学院の中間くらいかなという感じです。良くも悪くも実証的なので、理論を学ぶというよりは、現実に起こっている事象にどのように当てはめていくか、といった実践的なところが主眼になると思います。

MIEFプログラムの学生はどんな人々でしたか。

まず、私の学んだ2014-15年クラスに関して言うと出身地域という意味では、米国が3割、中国が3割、その他4割といった感じです。男女比はほぼ1:1です。

年齢層としては大きく二極に分かれます。数年の職業経験を積んでから、キャリアアップのために1年間学びに来た人、これは主に欧米系ですね、と、大学を卒業してそのまま進学して、在学中に就職先を探す人、これは中国人に多いと思います、の間には、大きな違いがあり、自然と普段のグループもその2つにわかれている感じです。

MAの方々と比べると、経済にフォーカスしている分数学力が高い半面、少し口下手な気がします。Skill Development Courseや、MA/MIEF混同クラスでディスカッションを行ったりすると、特にその傾向を強く感じます。英語圏外からの留学生が多いというのもその理由の一つかも知れません。GRE/GMATを見ると、MIEFの学生はQuantが高くてVerbalが低いといったこともあるようです。(参考

卒業後のキャリアにSAISの経験はどう活かせるでしょうか?

自分は元々、国際経済や金融を学んで帰国後のリサーチに生かしたい、その中で、国際関係にも手を伸ばしたり、ネットワーク形成を行いたいといった志望動機を持ってSAIS-MIEFを選んだので、学んだことは、DCにおける多くの出会いと合わせて、帰国後の仕事に強く生きているかなと思います。

特に、DCという町は国際機関が集中しており、インターンシップ等を通じて、卒業後にこういったところで働きたいと考えている人には、最適な場所なのではないかと思います。SAISの卒業生は、このような機関で数多く働いているので、内外のネットワークを通じてそういった人たちと接するチャンスに恵まれやすい、というのも、SAISの大きなメリットではないかなと思います。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

卒業後のキャリアとして、ワシントンDC、特に国際機関、世銀や米州開発銀行などを考えている人には、SAISは非常に良い選択だと思います。先にも書きましたが、SAISマフィアというネットワークはこの都市では非常に強く、ブランド力を最大限に活用することができます。もちろん自分自身が動かないと何も始まらないのですが、米国は日本の就活に比べ、ネットワークがものをいうのもまた事実だと思います。

MIEFについていうと、2014年にできたばかりなので今後いろいろ変わっていく可能性はありますが、国際関係というよりはその中でも国際経済や金融といったフィールドについて、将来を考えている人におすすめかと思います。ただ、正直結構ハードかつ濃縮された1年間になると思うので、ある程度卒業後にどんなことがやりたいか、といった方向性がある程度固まっている人にはおすすめですが、そうでなく、国際関係全般を学びながら将来を決めていきたいと考えている場合は、MAプログラムを選んで、夏休みにインターンをやりながら考えていく、といった戦略をとった方がいいかもしれません。

卒業式にてMIEFの同級生たちと


2015/11/15

Chiemi

Chiemiさんは2014年に修士課程を終えた卒業生です。1年間のメキシコ留学経験があり、3年の民間金融機関における勤務を経てSAISへ入学、卒業した現在は米州開発銀行にて働いています。
同級生と学科旅行にて(前列左がChiemi)

簡単に経歴を教えて下さい。

慶応大学の法学部在籍時代からラテンアメリカの政治経済に興味を持ち、メキシコに一年間国費留学しました。その中で将来的にはラテンアメリカの開発にかかわる仕事、できれば開発金融の分野で貢献したいと考えるようになり、学部を卒業した後は民間の金融機関に就職しました。3年ほど、日系金融機関と米系アセットマネジメント会社でクライアントサービスやポートフォリオ管理の分野で経験を積んで、それからSAISに入学しました。専攻はラテンアメリカ学で、夏休みにインターンをした米州開銀へ大学院二年目からそのまま就職しました。最初の二年間は民間企業への投資プロジェクトの立ち上げを担当しましたが、現在はニカラグアのオフィスで地域統合、商業支援分野を見ています。具体的には、政府向けローンおよびグラント案件の執行管理が仕事ですね。

留学のきっかけは?

小さい頃から「アメリカで学生になる」ということに憧れていたので、難しい理屈はぬきに、その夢をかなえるタイミングを見計らっていました。そんなときに、SAISについて耳にしました。ラテンアメリカでの開発金融に関わりたかったので、ワシントンでの経験が有益なこと、またSAISでは経済・金融・政治をバランスよく、実務に生きる形で学べることなどは魅力でした。それに、SAISってラテンアメリカ学プラス政治経済をダブルで専攻ができる唯一の学校なんです。そうしたことがあって、ここでマスターを取ることに決めました。

SAISの印象を教えて下さい。

SAISでは、政治・経済の理論を学ぶためのクラスだけでなくて、それを実際の現象に照らし合わせ、実務的視点から分析するスキルを身に着けることができたと思います。たとえば、私が履修したCommodity Economicsの授業では、まずマクロ経済学、マネタリー理論で学んだモデルを使い、天然資源が豊富な国で起こった経済現象を分析し、その分析をベースにその経済に潜在するリスクを指摘かつ回避のための政策を特定した上で、分析結果についてプレゼンテーションおよびPolicy Paperでの提案、という流れで授業が行われていました。理論をしっかり学ぶことは知的好奇心の観点からも、さらに、あらゆる経済分析についてベースを固める意味でとても重要ですが、このクラスのように理論をスタート地点として、実際にアウトプットとしての政策提案まで行うスキルを身に着けることは、政策関連の機関で働く際、中身のあるプロフェッショナルとして活躍できるようになるために、とても有益だと考えています。それに、プレゼンとペーパーを丁寧に、厳しく添削してもらえるというのも良い訓練になりました。

ニカラグアについて教えてください。

ニカラグアはラテンアメリカの最貧国のうちの一つです。今後も国際開発の分野でキャリア構築を考えているのですが、この分野で貢献するためには実際に現地の状況を肌で感じ、生活からも学ぶことは大変有益だと考えています。ニカラグアはどうしてこれほど貧しいのか、日本で生まれ育った者として、机の上で勉強しただけでは理解することのできない部分がありますが、そういった部分について、実際にニカラグアの政府や企業、コミュニティと一緒に仕事をし、日々の生活にて社会の色々な問題点を経験・観察することで、貧困問題の核心の理解に近づくことができれば、と考えています。

夢はありますか?今後のキャリアはどんな風に考えていますか?

ラテンアメリカにおけるビジネス開発支援に興味があるので、そのテーマについてマクロな視点、例えば市場整備、政府支援、それからミクロな視点、これは企業CSR支援や企業への直接投資といった分野ですが、その両方で貢献していきたいと考えています。そして遠い将来、ラテンアメリカにおいて特にセンシティブなテーマであり、他の地域においてもこれまで介入がとても難しいと考えられている、先住民コミュニティにおけるビジネス開発の分野に従事できるようになりたいと考えています。そのためにはまたいつか、専門性を高めるために大学に戻るというオプションもあると考えています。

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

金銭の損得やキャリアアップだけを考えたら他の道もあるでしょう。しかし一人の人間としての成長と学術的な冒険を求めて、そして一度の人生を豊かなものにするという理由だけで留学を決めてもいいのでは。

ChiemiさんのLinkedinプロファイル:https://www.linkedin.com/in/chiemi-nakano-9a247757

カナダ学の研究室で仲間と


2015/11/12

Keita

Keitaさんは2014年に修士課程を終えた卒業生です。3年の民間金融機関における勤務を経てSAISへ留学、2年間をDCで過ごし、卒業後は世界銀行グループに就職しました。
ルームメイトと(写真右がKeita)

簡単に経歴を教えて下さい。

日本の大学、大学院で江戸時代の遊郭の研究をして日本文学の修士号を取りました。その後、運用会社で年金や機関投資家、投資信託の資産運用業に3年間携わり、SAISに留学しました。専攻は開発(IDEV)で、卒業した後に世界銀行グループに就職しました。独立評価局(IEG)という部署で世銀グループの仕事を評価する仕事に関わっています。

留学のきっかけは?

私の運用会社でのキャリアの後半では、特に新興国の金融市場を見ていました。新興国の経済というのはやはり不安定で、欧州の債務危機や米国の格下げなど、何か起こるとその煽りを受けて揺れ動くんですね。そういうところで生活したり、ビジネスをしたりしている人はたまったもんじゃないだろうな、と感じていました。たまたま、服部正也さんの『ルワンダ中央銀行総裁日記』を読んで、私も新興国の経済のために何かできるんじゃないか、そうすると世銀やIMFかな、と興味が湧きました。そういう意味では、民間セクターから公的セクターへのキャリア転換のための留学と言えるかも知れませんね。

もともとの開発への興味というのは最初はかなり漠然としたものでした。1980年代に生まれて、物心つくと日本経済は既にバブルが弾け、成長する経済というのを自分自身で経験したことがなかったんです。それで新興国の活気のある社会というのに、なんとなく憧れのようなものを抱いていたんだろうと思います。でも先ほど述べたように、脆弱なところもあるんですよね。一つ思っているのは、日本人一人に1単位の幸せをもたらすのと、新興国の人一人に1単位の幸せをもたらすのって、後者の方が難しくないというものです。そういう意味で、新興国の人々のために付加価値を生み出してゆく方が、幸せに出来る人は多いのだろうな、なんて考えたりもします。

少し話は逸れるのですが、日本の古典文学の研究というのも一つの伏線になっています。日本の昔の人々の生き様、そして文芸というのは、彼らの時代の常識や価値観に基づいていたもので、古典の研究は、彼らの考え方を理解することから始まります。彼らの考え方って、現代の我々のそれとはやっぱり違ったんです。こんな小さな島国でも、常識や価値観は変わる。そう考えると、今、横に広がっている世の中にはまた違った考え方を持つ人たちがいるんだろうなぁ、と。それまで縦に掘り下げていたものを、横に拡げる感覚ですね。日本を飛び出して来たのにはそれもあったと思います。(ご参考

SAISの印象を教えて下さい。

来る前はほとんど情報がなく、留学も初めてだったので、右も左もわからず始めました。たぶん、SAISだけではないと思いますが、留学すると全てのものが新鮮なんだと思います。最初のルームメイトはネブラスカ人とインド人で、「あぁ、この人たちはこんな風に考えて、こんな風に生活を組み立てているんだ」と日常的に発見があったし、声をあげなければ何事も起きない代わりに、何かしっかり申し立てをすると意外と簡単に物事が動いたりするのも、あまり日本ではなかった経験ですね。SAISならでは、というのは他の学校に行っていないのでわからないところもあるのですが、開発系の計量経済学のクラスは質の良いものが充実しており、語学も選択肢がかなりあるので、私はヴェトナム語とインドネシア語を同時に学んで少し忙しい学生生活を送りました。シンクタンクが密集している中に位置するのも、セミナーに行きやすいという意味でプラスでしたね。

キャリアの転換には成功したようですね。

まだ道半ばですが、方向としては何とか進んでいると思っています。SAISへの留学が役に立ったかと言えば、答えはYesですね。DCにいるのといないのでは、世銀への入りやすさは大きく違うと思います。ジュニアなポジションでは「すぐ来て欲しい」という募集も多く、卒業生がたくさん働いていると内部の情報も流れてきます。入ってからは自分の能力次第なのですが、取っ掛かりを作るのにSAISは役立ったと思います。世銀や米州開発銀行など決めうちで考えている場合はDCか、少なくとも東海岸に留学するのが近道ではないでしょうか。ただ、留学の話からは逸れますが、開発機関というのは外から見るのと中から眺めるのでは大きく印象が違うので、しっかり考えて、いろいろな人に話を聞いてみてから考えて下さいね。

夢はありますか?今後のキャリアはどんな風に考えていますか?

何か、達成してしまえばもうそれで終わりというようなものはないのですが、開発には携わってゆきたいですね。金融セクターの開発支援だと思います。資本市場関連の仕事をしていたので、そこが出発点です。金融インフラの開発、例えば決済システムなんていう分野についてはとても興味があります。

少し先の将来に関しては、しっかりと知見が身についたところで、新興国における教育に転じて、若い世代への経験の伝達に関する仕事が出来ないかな、と漠然と思っています。新興国の財務省で非公式にインターンしたことがあり、それは確定拠出型の企業年金のスキームを立ち上げるための調査だったのですが、財務省側の意図は国債の安定的な買い手を作ることでした。一方で市場は未成熟で、取引コストが高く、流動性もなく、物価も安定しないひどいところで、金融抑圧下の国債を含めて金融市場への投資はするべきではないという結論を導きました。「年金システムを作る前にすることがありますよね」というメッセージを暗に込めたプレゼンをすると、やっぱり怒られました。開発って外から何かするだけではダメで、中の人たちのマインドセットにいかにアプローチをしてゆくのか、そんなことを考えると、若い人たちの教育ではないか、と。うまくゆくかなんてわかりませんけどね。あと、アメリカはご飯が美味しくないので、永住する気はありませんね...

SAISを目指す方に何か一言お願いします。

SAISに関わらず、留学は出来るときにして損はないものだと思います。お金も時間もかかります。が、違う世界への切符と思えば高くないんじゃないかと個人的には思います。あと、お金は何とかしようと思えば何とかなります。私も学費を半額免除してもらいました。そして、やると決めたら、最大限にその機会を利用して下さい。面白いことがいろいろ出来ます。迷っていることやわからないことがあれば、いや必ずたくさんあると思うのですが、在校生や卒業生に尋ねて下さい。みな優秀な後輩が来てくれると嬉しいので、しっかり支援しますよ。

DCは桜の名所。SAISの校門前にも見事な桜が


SAISの人々について

本ブログのご紹介

本ブログはジョンズ・ホプキンス大学SAISに留学を考えている皆さまへの情報発信を主眼に置きながら、学校や各キャンパスの所在地であるワシントンDC、ボローニャ、南京などの事情をご紹介するものです。

学校について

ジョンズホプキンス大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院(Paul H. Nitze School of Advanced International Studies, SAIS)は米国の私立大学、ジョンズ・ホプキンス大学の一部であり、米国ワシントン特別区に本拠を構える国際関係学/国際経済学に特化した大学院です。

主なプログラムには2年間の国際関係学修士、それぞれ1年制の国際経済金融学修士及び、職務経験を長く積んだ人向けの公共政策学修士があります。キャンパスは米国ワシントンDC、イタリアのボローニャ、中国の南京にあり、それぞれの学生が目的にあった形で組み合わせることも出来ます。

より詳しくは公式ウェブサイトを、日本語での情報はWikipediaの記事などご参照下さい。

本ブログの構成

本ブログはSAISの在校生、卒業生など様々な視点からSAISを語るインタビュー形式の記事で構成されます。

受験生の皆さまへ

皆さんを応援しています。ご質問がある場合や、学校を訪問されたい場合など、お気軽にコンタクトを頂ければと思います。例えばFacebookでSAIS Japan Clubのコミュニティなどに投稿して頂ければ、手の空いている者が対応します。